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    <title>What I have been learning.</title>
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    <description>最近、教えられていることを綴っています。</description>
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    <title>からの器</title>
    <description>

”すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。”（2列王記 4:3 ）

　預言者の仲間のひとりが妻子を残して先立った。借金だけが残った。やもめはエリシャのもとに来て、「あなたのしも...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/ist2_3512084-glass-jar.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_3512084-glass-jar.jpg.200px.jpg" width="200" height="133" alt="" class="pict" /></a><br />
<br />
”すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。”（2列王記 4:3 ）<br />
<br />
　預言者の仲間のひとりが妻子を残して先立った。借金だけが残った。やもめはエリシャのもとに来て、「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております」と叫んだ。夫に先立たれ、今度はふたりの子どもまで奴隷として取り去られることの理不尽さに怒りを覚えたに違いない。それは、「ご存知のように、あなたのしもべは主を恐れておりました」との言葉に現れている。望みを託していた夫に先立たれ、絶望しているやもめに望みを神様に託すことを教えるために、エリシャは彼女に「からの器」を集めれるだけ集めるようにと命じた。ふたりの子どもを借金のかたに取り去られそうになっている状況で「からの器」を集めることは虚しさとの戦いであったと思う。希望を抱くとは虚しさとの戦いでもある。<br />
<br />
　”忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 ”（ローマ 5:4）<br />
<br />
　忍耐とは我慢することではなく、虚しさに望みを明け渡すことを拒み続け、望み得ないときでさえも、なおも望みを神様に置き続けることを意味する。そのような忍耐が練られた品性を生み出していく。練られた品性とは上品さという意味ではなく、「神の最善」を信じて疑わない心と言えるのではないだろうか。<br />
<br />
　私たちは「最悪を想定すること」の大切さを知っている。「もしもの時、万が一の時」のために備えることは人生の知恵である。日本における世帯主の生命保険加入率は80％を超える。キリスト者が生命保険に加入することは不信仰ではなく、人生の知恵である。しかし、キリスト者は「神の最善」を信じ続けることに心を砕くべきである。失望に終われない希望を生み出す「練られた品性」とは虚しい思いに「望み」を明け渡すことを拒み続け、無から有を生み出される神に望みを置き続けることで形作られていく。<br />
　<br />
”この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。”（ローマ 5:5）
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-16T22:25:47+09:00</dc:date>
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    <title>卒業式</title>
    <description>

　今日、長男が中学を卒業した。ほんの少し前、小学校を卒業したような錯覚を覚えるぐらい、中学の三年間はあっという間に過ぎ去った感がある。彼にとっては短くもあり、長い三年間であったかも知れない。三年の夏、最後のバスケットの試合で不甲斐ない敗北を喫したこ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/IMG_0370.jpg" target="_blank"><img src="images/IMG_0370.jpg.200px.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /></a><br />
<br />
　今日、長男が中学を卒業した。ほんの少し前、小学校を卒業したような錯覚を覚えるぐらい、中学の三年間はあっという間に過ぎ去った感がある。彼にとっては短くもあり、長い三年間であったかも知れない。三年の夏、最後のバスケットの試合で不甲斐ない敗北を喫したことで夏の終わりまで引退を延ばすと言い出したときは困惑した。部活に熱中するあまり、勉強が疎かになっていた分を夏休みに取り戻す計画だった。塾の夏期講習の申し込みも済んでいた。しかし、講習の時間と部活の時間が重なっていたため、別の塾の入塾テストを自分から申し込みに行った。夏の部活と夏期講習を両立したことには感心した。来週の火曜日、公立の後期試験で受験勉強の日々が終わる。体調を崩すことなく、全力を出し切ってほしいと願うばかりだ。<br />
<br />
　彼は友達には本当に恵まれていた。友達の中には幼稚園からの友達もいたので、９年間、一緒に遊び、学んだ友達と離れて、四月から高校生活が始まる。彼の旅立ちに心からエールを送りたい。<br />
<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-12T23:00:30+09:00</dc:date>
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    <title>腰痛</title>
    <description>

　月曜日、目が覚めたら腰が痛くてなかなか起き上がれなかった。前日から兆候はあった。休日だったことと、急な予定が無かったことが幸いした。一日を安静に過ごした。夕食後、三男を連れて近くのスーパー銭湯に出かけた。去年の年末からお願いされていた。久しぶりに...</description>
<content:encoded><![CDATA[
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<br />
　月曜日、目が覚めたら腰が痛くてなかなか起き上がれなかった。前日から兆候はあった。休日だったことと、急な予定が無かったことが幸いした。一日を安静に過ごした。夕食後、三男を連れて近くのスーパー銭湯に出かけた。去年の年末からお願いされていた。久しぶりにマッサージをしてもらう予定だったが、駐車場の門が閉まっていた。暗くてあまり見えなかったが、門に張り紙らしきものが張ってあった。倒産？閉鎖？最近はあまり行く機会はなかったが、近くにあったので便利だった。友人の牧師との交わりでも利用していた。無くなってみると寂しい気がする。<br />
<br />
　木曜日の朝、腰痛も少し緩和してきたが、まだ腰の筋肉が固まっている。ストレッチを怠ったことが原因だと思われる。腰痛対策として腹筋、背筋、大腿二頭筋（太ももの裏側）の筋力強化に取り組んでいるが、筋トレをすると腰への負担も増えてしまう。このバランスが難しい。<br />
<br />
　
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-11T07:02:35+09:00</dc:date>
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    <title>所有者　OR　管理者</title>
    <description>


”だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。”（マタイ6:34）

　「あすのことはあすが心配します」とのイエスの言葉は頭では分かるが、心で実感するのは難しい。それは、自分の命の所有者が自分で...</description>
<content:encoded><![CDATA[
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<br />
<br />
”だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。”（マタイ6:34）<br />
<br />
　「あすのことはあすが心配します」とのイエスの言葉は頭では分かるが、心で実感するのは難しい。それは、自分の命の所有者が自分であるとの思いがあるからだ。所有者であるなら、あすの心配をあすにすることは問題の先延ばしになりかねない。しかし、管理者なら、「労苦はその日その日に、十分あります」との言葉と真摯に向き合うことが求められている。「心配する暇があったら」とよく言われるが、確かにその日その日の労苦に心を向けるなら心配する暇も無くなるのだろう。少なくとも心配している時間は減少することになる。<br />
<br />
　神を神として崇めるとは、神様が自分の命の所有者であることを認めること、すなわち、「生かされている存在」としての自分を認めることだ。管理者は自分の命を神様から委ねられた大切なものとして管理すべき責任があるが、あすの心配は所有者なる神様にお任せしなければならない。あすの心配をお任せすることが無計画な人生を生きることになるのではとの懸念もあるが、心配することと計画することは異なる。計画するとは、あすのために今日何をすべきを明確にする作業だが、心配は計画が思い通りいかなかった場合を想定し、悩むことだ。しかし、人生はなかなか計画通りにはいかない。だから、計画通りにいかない場合を想定し、悩み始めたら終わりがない。イエスは「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか」と言われた。管理者の責任は病気になることを心配することではなく、病気にならないためにしなければならないことに心を配ることである。健康を管理することにもっと心を配らなければならない。<br />
<br />
「労苦はその日その日に、十分あります」<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-06T09:25:33+09:00</dc:date>
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    <title>多くの馬をふやしてはならない</title>
    <description>

”王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。”（申命記 17:16）

　イスラエルの王は「自分のために決して馬を多くふやし...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/ist2_2417678-green-vs-red.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_2417678-green-vs-red.jpg.200px.jpg" width="200" height="107" alt="" class="pict" /></a><br />
<br />
”王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。”（申命記 17:16）<br />
<br />
　イスラエルの王は「自分のために決して馬を多くふやしてはならない」と命じられた。古代社会において王の最たる務めは軍事力の増強であり、いかに多くの馬をふやすのかに腐心する。しかし、イスラエルの王は「馬をふやしたい」との誘惑、「高ぶりの心」と戦わなければならない。<br />
<br />
　北イスラエルの王ヨラムは父アハブから王位を継承したとき、民が父に従ったように自分に従うか不安でたまらなかったに違いない。そのようなとき、モアブの王が貢ぎ物を納めるのを一方的に打ち切ってきた。モアブの王にとって息子のヨラムの存在など眼中になかった。ヨラムは民の前で侮辱されたことに激昂し、北イスラエルの兵役義務のある男子を一人残らず召集し、南ユダの王ヨシャパテにも援軍を要請した。それでも飽き足らず、エドムの王にも助けを求めた。ヨラムは自分の背いたモアブの王を兵士の数で圧倒しようとした。<br />
<br />
”こうして、イスラエルの王は、ユダの王とエドムの王といっしょに出かけたが、七日間も回り道をしたので、陣営の者と、あとについて来る家畜のための水がなくなった。（2列王記 3:9）<br />
<br />
　ヨラムが兵士の数を増強するためにエドムの王の援軍を要請するために「七日間も回り道」をしたので貯蔵した水が底をついてしまった。乾燥した砂漠地帯では急速に体内の水分は失われ、水分補給を怠ると脱水症状に陥る。体内の水分の６％が失われると命の危険が生じる。貯蔵した水が底をつく事態は生命にとって危機的な状況であり、もはや戦争どころではない。兵士の数を増強すればするほど、貯蔵した水は減り続ける。それでも、ヨラムは一心不乱に兵を集め続けた。結局、ヨラムは自分で自分の首を絞め続けたのだ。<br />
<br />
　「高ぶった心」は盲点を生み出す。そして、その盲点が致命的な結果を招くことになる。<br />
<br />
”「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」”（ヤコブ 4:6）<br />
<br />
　
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-03-01T08:38:54+09:00</dc:date>
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    <title>4年目</title>
    <description>

　今日、PTAの決算総会があり、来年度のPTA会長に承認された。４年目となる。４年目を迎えることは予期していなかった。頑なに断われば断われたはずだが、PTAの会長を３年間務めた最後がそのような終わり方になることは望まなかった。最後の最後で決まらなかったなら...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/ist2_6381575-hand-draw-digit.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_6381575-hand-draw-digit.jpg.200px.jpg" width="200" height="200" alt="" class="pict" /></a><br />
<br />
　今日、PTAの決算総会があり、来年度のPTA会長に承認された。４年目となる。４年目を迎えることは予期していなかった。頑なに断われば断われたはずだが、PTAの会長を３年間務めた最後がそのような終わり方になることは望まなかった。最後の最後で決まらなかったなら、引き受けることを承諾した。結局、最後の最後まで決まらなかった。<br />
<br />
　来月、次男が小学校を卒業する。そろそろ、卒業のスピーチを考えなければならない。次男へ向けてスピーチしたいと思う。長男は小学校の６年間を比較的穏やかに過ごしたが、次男はいろいろあった。いろいろあった分、卒業式は感慨深いものになるような気がする。PTA会長を次男と一緒に卒業する予定だったが、今年一年は三男の成長を身近で見守ろう。<br />
<br />

]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-26T21:51:41+09:00</dc:date>
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    <title>TIAGO IORC</title>
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    <dc:date>2010-02-24T23:13:16+09:00</dc:date>
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    <title>結婚式</title>
    <description>

　昨日、役場の若い職員の方の結婚式を執り行った。青少年指導員の新年会の席でその職員の方が入籍は済ませたが、諸事情により結婚式を挙げていないことが判明した。「結婚式の司式をしてあげるよ」と声をかけると、周りの人々が「そうや。豊田さん。牧師さんや。結婚...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/IMG_0357.jpg" target="_blank"><img src="images/IMG_0357.jpg.200px.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /></a><br />
<br />
　昨日、役場の若い職員の方の結婚式を執り行った。青少年指導員の新年会の席でその職員の方が入籍は済ませたが、諸事情により結婚式を挙げていないことが判明した。「結婚式の司式をしてあげるよ」と声をかけると、周りの人々が「そうや。豊田さん。牧師さんや。結婚式してもらい」と話しが盛り上がった。指導員の中には花屋さんもおられたので、結婚式は現実味を帯びた。しかし、新年会の席だったので話しが流れる可能性もあった。しかし、次の会議の時、指導員の方々の思いは強くなっていたので、正式に司式を引き受けることにした。結婚式を挙げなかったのは経済的な理由もあり、無償の結婚式を約束した。式の日程は奥様の誕生日、時間は役場の仕事が終わってからになるため、午後７時となった。奥様には内緒で準備を進め、当日、誕生日の夕食に誘い、教会に連れて来る計画を立てた。<br />
<br />
　当日、午後７時前、礼拝堂には両家のご両親や友人、職場の上司、同僚の方々、青少年指導員、総勢50名以上が集まり、二人の到着を待った。７時を少し過ぎた時、一台の車が駐車場に到着した。二人が扉を開けた瞬間、待ち構えていた指導員の方々から、「おめでとう」との祝福の言葉が浴びせられた。奥様は何が何だか分からないまま、控え室へと案内された。礼拝堂の入り口では新婦の父が待っておられた。新郎とは事前に打ち合わせをしたのだが、舞い上がっていて、新婦と一緒に入場しようとしていた。手で合図を送り、前で新婦を迎えるように促した。ドタバタと始まった式だったが、讃美歌いつくしみ深みを歌い始めると厳粛な雰囲気となった。新婦の友人が泣いている姿が印象的だった。<br />
<br />
　日曜日の夜遅くまで、教会の有志の方々が結婚式のために礼拝堂をセッティングしてくださった。ありがとうございました。
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-23T06:18:37+09:00</dc:date>
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    <link>http://blog.newlife.holy.jp/?eid=1541804</link>
    <title>You are beloved son</title>
    <description>

 「Fathered by God」(John Eldredge)を読んでいる。この本を購入したのは本のタイトルに惹かれたからだ。９歳のときに父を亡くして以来、天の父なる神様を慕い求めるようになった。少年の頃、父なる神様に何を求めていたのか、「肯定されること」であったと思う。祖...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/DSCF1717.jpg" target="_blank"><img src="images/DSCF1717.jpg.200px.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /></a><br />
<br />
 「Fathered by God」(John Eldredge)を読んでいる。この本を購入したのは本のタイトルに惹かれたからだ。９歳のときに父を亡くして以来、天の父なる神様を慕い求めるようになった。少年の頃、父なる神様に何を求めていたのか、「肯定されること」であったと思う。祖母や母から十分に愛され、受容されて育てられたが、「肯定される」という経験が欠如していた。<br />
<br />
"Boyhood is the time of Affirmation, the time when a boy comes to learn and learn deeply that he is the beloved son."<br />
(少年期は肯定されるときである。少年は自分が愛されている息子であることを深く学ぶときなのだ）<br />
<br />
　父の役割は子どもに「肯定感」を与えることだろう。「肯定すること」と「受容すること」の違いは何だろうか。ひとが内面における成熟を経験するためには「肯定感」と「受容感」が欠かせない。「受容感」とはありのままの自分が愛されていることの実感に対して、「肯定感」とは自分の秘めた可能性を信じてもらえているとの実感ではないだろうか。特に、男の子には肯定感が大切になる。<br />
<br />
”I explained in Wild at Heart that every man and every boy is asking one core question:"Do I have what it takes?""<br />
(Wild at Heartでも説明しましたが、全ての男性、少年は一つのことを自問し続けている。自分にはできるだろうか？）<br />
<br />
　会社に入社したとき、同僚達と比べて自分に何かが欠けているとの思いを漠然と抱いた。それが、「自信」であることが次第に分かってきた。彼らが自信に満ち溢れていたわけではないが、ただ自分に自信が無かった。仕事で評価されても自信の無さが心から消えることはなかった。<br />
 <br />
　前任牧師のケニーさんとの出会いは「父の息子」に戻れる経験を与えてくれた。最初の出会いから１０年が過ぎた頃、ケニーさんが前立癌に侵され、余命一年と宣告された。ある日、ケニーさんを見舞ったとき、「のぶ。わたしはあなたが牧師の働き以上の働きをすると信じている」と言ってくださった。この時、心で感じたこと、愛されてる息子とされていることの実感を今も忘れられない。ケニーさんが入院する前、「あなたを長年の友人に紹介したい。」と言ってくださり、米国のノースカラライナ州在住のジェリー牧師を一緒に訪ねた。ジェリーさんとの交流は愛されてる息子としての実感を更に深めている。彼は私を実の息子のように受け入れ、可能性を信じてくれた。何度、彼の口から「Nobu, You can do it」（あなたならできる。）との励ましの言葉を聞いたことか。一緒にジムに行ったり、食事をしたりする時間が自分の心に欠如していたものを満たしていった。今、自分の心には愛されている息子であるとの喜びがある。この喜びを三人の息子たちにも与えたい。
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-02-15T07:49:34+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://blog.newlife.holy.jp/?eid=1539397">
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    <title>Begin With the End in Mind</title>
    <description>

「７つの習慣」（スティーブン・R. コヴィー）の第二の習慣に「方向を見定める習慣」がある。この習慣は子育てにおいて非常に大切になる。昨日、NewHopeの礼拝後、夫婦の学び会で子育てにおける「方向を見定める習慣」の適用について話した。Begin with the End in Mi...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/ist2_2826739-houses-on-architect-s-plan.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_2826739-houses-on-architect-s-plan.jpg.200px.jpg" width="200" height="120" alt="" class="pict" /></a><br />
<br />
「７つの習慣」（スティーブン・R. コヴィー）の第二の習慣に「方向を見定める習慣」がある。この習慣は子育てにおいて非常に大切になる。昨日、NewHopeの礼拝後、夫婦の学び会で子育てにおける「方向を見定める習慣」の適用について話した。Begin with the End in Mindを「方向を見定める」と訳するよりも、「青写真に沿って目の前の事に向かう」と言うほうが個人的にはしっくりする。家を建築する際には必ず設計図と完成図が描かれる。しかし、子育てにおいてはどのような大人になってほしいのかという具体的なビジョンを描かないまま、日々の子育てに忙殺されていることが多いのではないだろうか。設計図や完成図無しに家を建てることは有り得ないが、子育てにおいては十分有り得る。成人した子どもの姿を思い描きながら、日々の子育てに向かう最大のメリットは一貫性にある。<br />
<br />
　”この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 ”(ローマ 12:2）<br />
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　「この世と調子を合わせてはいけません」とはこの世の型に押し込められてはいけないとの意味だ。子育てにおいて大切なことは「健全な人格」という基本の型を身につけさせることだと思う。あらゆるスポーツ、芸術、音楽に共通することは基本の型の上に応用が成立すること、基本の型無くして応用はないことだ。子育てに置き換えて言うと、健全な人格という基本の型無くして、本当の個性という応用は成立しないと言える。しかし、今日の子育てにおける思い違いは、健全な人格という基本の型を身につけさせないでも、応用、個性を伸ばすことができる、反対に自由にさせることでのびのびと育つものとの性善説にあるのではないだろうか。<br />
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　”愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。”（箴言22:15 ）<br />
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　「愚かさは子どもの心につながれている」、この愚かさとは未熟さとの意味ではない。未熟さなら断ち切る必要はない。ゆっくりと成熟へと導けばいい。この愚かさとは自分の人生を破滅へと向かわせる利己的な思いだ。自分の願い通りにならないなら、それが心から願っていたものであっても、蔑ろにする「わがままな心」とも言える。子どもの幸福は思い通りにならないことをどのように心に納めることができるかにかかっている。親が思い通りにいかないことをどのように受け止めているのかが問われる。子どもの心につながれている「愚かさ」を断ち切ることのできる懲らしめの杖とは、親自身の生き様ではないだろうか。子どもは親を見ている。<br />
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　もし、子どもが小さいときに健全な人格という基本の型を身につけさせないままにしておくと、いずれ、子どもは別の型に押し込められていくことになる。　そして、その型にはぶれない一貫性がある。子どもが直面する人生の誘惑には一貫性がある。親が子育てにおいて一貫性を失わない秘訣は大人になった子どものあるべき姿を思い描きながら、日々の子育てに向かうことではないだろうか。<br />
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　笑われるかも知れないが、私の子育ての目標は三人の息子の将来の奥さんから「おとうさん、いい息子に育てて下さってありがとうございます」と感謝されることだ。そう決めたときから、優柔不断な私の子育てに少しずつ一貫性がもたらされるようになってきたと思う。<br />

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    <dc:date>2010-02-08T07:31:38+09:00</dc:date>
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    <title>こうや豆腐とコカコーラ・ゼロ</title>
    <description>

　先日、次男におつかいを頼んだ。

父　　「コカコーラ・ゼロ買ってきてくれる？」
次男　「家になかった？」
父　　「もう、無い。はい、２００円」
次男　「行ってきます。」
父　　「ありがとう。」
 .........

父　　「買ってきたコーラ・ゼロどこ？」...</description>
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<a href="images/ist2_4512141-soda-drink-with-blue-straw.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_4512141-soda-drink-with-blue-straw.jpg.200px.jpg" width="133" height="200" alt="" class="pict" /></a><br />
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　先日、次男におつかいを頼んだ。<br />
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父　　「コカコーラ・ゼロ買ってきてくれる？」<br />
次男　「家になかった？」<br />
父　　「もう、無い。はい、２００円」<br />
次男　「行ってきます。」<br />
父　　「ありがとう。」<br />
 .........<br />
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父　　「買ってきたコーラ・ゼロどこ？」<br />
次男　「コーラ・ゼロ？」<br />
父　　「さっき頼んだやん」<br />
次男　「お父さん、こうや豆腐買ってきてって頼んだで。」<br />
父　　「こうや豆腐？？？」<br />
次男　「こうや豆腐って言った。」<br />
父　　「こうや豆腐なんか頼んでないで。コカコーラ・ゼロって言ったで」<br />
次男　「いや、こうや豆腐って言った」<br />
<br />
　･････････<br />
妻　「誰、こうや豆腐買ったの」<br />
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]]></content:encoded>
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    <dc:date>2010-02-05T07:27:25+09:00</dc:date>
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    <title>ゲラ刷りチェック</title>
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　Renovation of the Heart（心の刷新を求めて）のゲラ刷り原稿が届いた。プロジェクトがスタートして約３年、約４５０頁のゲラ刷り原稿の重さにお二人の翻訳者と編集者の労苦の重さを感じた。読みやすい日本語訳に感激しつつ、先週から時間を見つけては原稿のチェッ...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/ist2_9494886-heart-of-baby-.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_9494886-heart-of-baby-.jpg.200px.jpg" width="200" height="200" alt="" class="pict" /></a><br />
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　Renovation of the Heart（心の刷新を求めて）のゲラ刷り原稿が届いた。プロジェクトがスタートして約３年、約４５０頁のゲラ刷り原稿の重さにお二人の翻訳者と編集者の労苦の重さを感じた。読みやすい日本語訳に感激しつつ、先週から時間を見つけては原稿のチェックに没頭した。こんなに没頭して本を読んだのは久しぶりだった。翻訳者と編集者が何度も目を通したゲラ刷り原稿をチェックするのは、粗探しをしているような申し訳無さ半分と宝探しをしているような楽しさ半分といった感覚だ。今朝、やっと全ての原稿に目を通し終えた。この本との出会いが自分の牧会理念に大きな影響を与えたと改めて思った。三十代後半、牧会理念を明確にする過程における迷いの中で、「アウトリーチ（伝道）よりも、インリーチ（キリスト者の内的変革）こそが長期的には多くの人々に福音をもたらす」とのウィラードの考え方に心から同意した。そのことが決定的な分岐点になった。インリーチこそが長期的には最善のアウトリーチだと心から思う。<br />

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    <dc:date>2010-02-03T07:22:42+09:00</dc:date>
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    <title>燃え尽きないために</title>
    <description>
　
 月曜日、工藤先生が主宰されている牧会事例研究会に初めて参加した。参加者は工藤先生を除いて８名、お二人以外は初対面の方々だった。牧師という職をどのように受け止めるかが、牧師の精神面に多大な影響を及ぼすことを改めて思わされた。教師の約四割が燃え尽き...</description>
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<a href="images/ist2_5956913-ski-walking.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_5956913-ski-walking.jpg.200px.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /></a><br />
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 月曜日、工藤先生が主宰されている牧会事例研究会に初めて参加した。参加者は工藤先生を除いて８名、お二人以外は初対面の方々だった。牧師という職をどのように受け止めるかが、牧師の精神面に多大な影響を及ぼすことを改めて思わされた。教師の約四割が燃え尽き症候群の予備軍とのデータを目にしたことがある。それでは、牧師の何割が燃え尽き症候群の予備軍なのか心配だ。<br />
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　先週の礼拝で「ふたりで遣わされることの大切さ」について預言者エリヤの生涯を通してメッセージした。エリヤが人生最後の日を迎えたときのことである。<br />
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”エリヤはエリシャに、「ここにとどまっていなさい。主が私をベテルに遣わされたから。」と言ったが、エリシャは言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたから離れません。」こうして、彼らはベテルに下って行った。 ”(2列王記 2:2 ）<br />
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　エリヤは「主が私をべテルに遣わされたから」とエリシャと一緒にべテルに行くことを拒んだ。エリヤは偉大な預言者であったが、孤高のひとでもあった。彼の人生には単独行動が目立つ。北イスラエルの悪王アハブのバアル礼拝を非難するときもひとりで出向いた。モーセでさえエジプトのパロ王に同胞の解放を求めるとき、ひとりではなく兄のアロンと一緒に行くことを望んだ。４５０人のバアルの預言者と対決したときも、彼はひとりだった。<br />
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”そこで、エリヤは民に向かって言った。「私ひとりが主の預言者として残っている。しかし、バアルの預言者は四百五十人だ。”（1列王記 18:22 ）<br />
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　有名なカルメル山でのバアルの預言者との対決のとき、エリヤは「私ひとりが主の預言者として残っている」と語った。彼はイスラエルの命運を自分ひとりで背負っていると思い込んでいたのではないだろうか。バアルの預言者との戦いに勝利しても、イスラエルの民は偶像礼拝、バアル崇拝から離れることはなかった。エリヤは絶望し、北イスラエルを離れ、南ユダへと逃亡した。預言者にとって職場放棄は牧師にとって礼拝を放棄すること、医師が手術中に退室することに等しい。エリヤは若い者を残し、ひとり荒野を歩き続け、「もう十分です。私のいのちを取ってください」と死を願った。神様はエリヤに食物と休息を備えられた。神様は元気になったエリヤをホレブ山へと行くように命じられた。徒歩で一週間の距離を四十日四十夜をかけてゆっくりと旅をした。生き急いだ彼が神様と共に「今日を生きること」を学ぶ旅となったのではないだろうか。<br />
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　ホレブ山の洞穴で一夜を過ごしたエリヤに神様は「エリヤよ。ここで何をしているのか。」と声をかけられた。 その語りかけは職場放棄したことを責める言葉ではなく、「ひとり孤立した状態」に言及されたように思える。「なぜ、あなたはひとり孤立しているのか」と声をかけられたのではないだろうか。<br />
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”エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」” （1列王記 19:10 ）<br />
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　エリヤが絶望し、死を願うほどに行き詰った理由は、「ただ私だけが残りました」との言葉からひとりで重荷を背負うことに疲れ果てたことにあったことが分かる。神様はエリヤひとりにイスラエルの命運を託されたのだろうか。<br />
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”しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」”（1列王記 19:18 ）<br />
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　「ただ私だけが残りました」と嘆くエリヤに神様は「わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である」と語られた。神様の言葉はエリヤにとって慰めでもあり、遜らされる言葉であった。自分ひとりが神様に熱心に仕えてきたとの思いが他者を裁き、退けることになった。エリシャはエリヤに三度も退けられながらも、「私は決してあなたから離れません」と共にいることを誓った。神様は私たちひとりひとりにも、ふさわしい助け手、友を備えて下さる。私たちはふたり（複数）で遣わされるべきではないだろうか。<br />
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”もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。”(伝道 4:12 ）
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    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-26T22:22:32+09:00</dc:date>
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    <title>野菜たっぷりラーメン</title>
    <description>

　希望軒の野菜たっぷりラーメンにはまっている。日によってトッピングの野菜のボリュームが明らかに異なっているときがある。いつもより野菜が大盛りだとなかなか麺にたどり着かない。小さな幸せを感じる。これが中年の幸せなのか。

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<a href="images/IMG_0340.jpg" target="_blank"><img src="images/IMG_0340.jpg.200px.jpg" width="200" height="150" alt="" class="pict" /></a><br />
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　<a href="http://www.kibou-ken.com/index.html" target="_blank">希望軒</a>の野菜たっぷりラーメンにはまっている。日によってトッピングの野菜のボリュームが明らかに異なっているときがある。いつもより野菜が大盛りだとなかなか麺にたどり着かない。小さな幸せを感じる。これが中年の幸せなのか。<br />
<br />
　
]]></content:encoded>
    <dc:subject></dc:subject>
    <dc:date>2010-01-26T08:53:40+09:00</dc:date>
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    <title>石をパンに変えることの虚しさ</title>
    <description>

”試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 ”(マタイ 4:3）

　イエスが試みる者（悪魔）に誘惑された有名な箇所だ。試みる者は４０日間の断食を終えたイエスに向かって、「あなたが神の子なら、この石がパン...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="images/ist2_4127246-the-rock.jpg" target="_blank"><img src="images/ist2_4127246-the-rock.jpg.200px.jpg" width="200" height="133" alt="" class="pict" /></a><br />
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”試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 ”(マタイ 4:3）<br />
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　イエスが試みる者（悪魔）に誘惑された有名な箇所だ。試みる者は４０日間の断食を終えたイエスに向かって、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」と命じた。試みる者には神の御子イエスにいかなることも命じる権威はない。それでも、お構いなしに命令している。強迫神経症という精神障害がある。神経症と診断されなくても、誰もが何らかの強迫観念を抱くことはあると思う。その一つが、試みる者がイエスに命じた言葉、「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」に示唆されている。試みる者はイエスに神の御子であることを証明するために、石をパンに変えるようにと命じた。<br />
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”愛される価値があることを実証する責任が自分にあると、つねに説得しようとするこの世で、神に愛されている者として生きることです。”(p143　愛されている者の生活　ヘンリ・ナウエン）<br />
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　ナウエンの言葉通り、私たちは自分の価値を自分で証明する責任があるかのように生きているのではないだろうか。ナウエンは多くのひとは自分の価値を「良い働き」、「他者の評価」、「所有物（財産、家族、人間関係）」によって証明する術しか持たず、自分の価値が失われることを恐れながらサバイバルしていると指摘している。しかし、イエスはご自分が神の御子であることを証明する必要を全く覚えられなかった。それどころか、石をパンに変えることの虚しさを悟っておられた。イエスが石をパンに変えたところで、イエスが神の御子であることは証明されない。私たちの本当の価値も、良い働き、他者の評価、所有物によって証明されない。しかし、私たちは石をパンに変えることに人生を捧げていないだろうか。<br />
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”イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」 ”（マタイ 4:4）<br />
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　 ひとはパンを必要としている。良い働き、他者の評価、所有物は必要なものだが、私たちを生かす力は神の言葉にある。イエスが試みる者から誘惑を受ける前、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。イエスが洗礼を受けられたとき、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」と天から声が聞こえた。イエスは神に愛されている者、神の喜びとされている者として生きることから離れることはなかった。それは、神に愛されている者、神の喜びとされている者こそがイエスの真のお姿だからだ。だからこそ、イエスは石をパンに変える、ご自分が神の御子であることを証明する必要性を覚えられなかったのだ。石をパンに変えたところで何が証明されるのだろうか。私たちも神に愛されている者、神の喜びとされている者として自分を受け入れるとき、たとえ、感情、実感が伴わなくても、事実として受け入れることによって自分の価値を証明する生き方から解放されることになる。<br />
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　自分の価値を証明することを強要されていると感じるとき、石をパンに変えることに自分の人生を捧げ、万が一にも石がパンに変わったとき、試みる者がなんと言うのか想像してみるといいと思う。「グット・ジョブ（お見事」」と失笑されるだけだろう。
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    <dc:date>2010-01-18T20:53:30+09:00</dc:date>
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