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What I have been learning.

最近、教えられていることを綴っています。
Count Down
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     大晦日は朝から年賀状書きで暮れていきました。現在の時刻は午後6時を少し回ったところです。今日の午後6時から30代中心の家族が集まり、鍋を食べながら新年をカウントダウンで迎えるそうです。今回、食事に誘ってもらったので、今から妻と三男とで出かけます。長男と次男はどうしても見たいお笑い番組があるので居残りとなりました。今年は30代の夫婦の活動が活発になった年だったと思います。子育て中のお母さんの集いが月一度持たれるようになったり、今回のような企画が持ち上がったりと新生パワーを感じます。

     午後10時過ぎ、妻を残して三男と帰宅しました。ある意味、これだけ鍋を堪能したのは初めての経験でした。予定時刻を少し回った頃に教会に到着、既にテーブルの上にはキムチ鍋、つくね鍋、モツ鍋、おでん、寄せ鍋が用意されていました。それぞれが家庭の定番の鍋だったのでとても美味しかったです。モツ鍋は初めて食べましたが、いやはや脱帽しました。




     それと、特大の蛸&キャベツ入りのたこ焼きも感動的でした。我が家で入れる蛸の5倍はあるぶつ切りの蛸がなんとも贅沢でした。子どもの頃、日曜日のお昼には祖母がたこ焼きを焼いてくれました。育ち盛りの男4人が焼き上がったたこ焼きを一瞬で食べ尽くすので、祖母が延々とたこ焼きを焼き続けていた記憶があります。時々、我が家では土曜日のお昼にたこ焼きを作ります。でも、最近は蛸が値上がりして、蛸&ちくわが定番化しつつあったので、ぶつ切りの蛸を口にしたとき、昔食べたたこ焼きを思い出させてくれました。

     妻は教会に残り、カウントダウン&賛美をしてから戻って来ました。

     
    | newlifeblog | Fellowship | 22:54 | - | - | - | - |
    友人との再会
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       今週の木曜日、教会に昔の友人のW君が訪ねて来てくれました。約20数年ぶりの再会となりました。彼との交流は大阪のS教会に客員信徒として通うことになったことが始まりでした。S教会はわたしの育った母教会とは対照的な教会でした。母教会はイギリスの教会から派遣された女性の宣教師の方が伝道牧会されていた、20名程が集う小さな教会でした。礼拝は形式的で、式順に従って聖書朗読、オルガン演奏による賛美、説教、頌栄と進行しました。しかし、説教は関西聖書神学校の校長、副校長先生や、教授陣が毎週交代で取り次いで下さっていたので、今から思えば多くの牧師に薫陶を与えた方々の説教、スピリットに触れられたことは幸いなことでした。

       S教会の礼拝に初めて出席したとき、ドラムやピアノ、ギターの演奏による賑やかな賛美に圧倒されました。今では、多くの教会がワーシップ賛美を導入するようになりましたが、20年以上も前から既にワーシップ賛美を導入していた点や、大人の礼拝出席が100名以上あったことからも、ある意味では先駆け的な存在であったと思います。毎週金曜日の夜には徹夜祈祷が持たれていて、いつも数名の方々が熱心な祈りを捧げられていたことも印象に残っています。当時、W君は20歳前半だったと思いますが、牧師になることを志願して、アルバイトをしながら教会の奉仕活動に従事しておられました。私と言えば、テキスタイルの会社に勤め、デザイナーの見習い中の身だったので、W君とは別世界にいるかのようでした。彼が東京の神学校に入学するために大阪の地を離れた後、私の心に牧師を志す願いが起こされ、米国のバイブル・カレッジへの留学に導かれました。お互いに「牧師への道」を東京とポートランドで歩み始めることになり、所属する団体に留まる彼との接点は無くなってしまいました。風の便りで神学校を卒業し、四国へ派遣されたとは聞いてはいましたが、その後の消息は途絶えてしまいました。先週、彼から突然のメールが届きました。大阪出張の際に、時間があれば会いたいとの内容でした。その後、電話で待ち合わせの日時を決めたとき、彼はわたしが牧師になったことが信じられない様子でした。彼の驚く言葉に戸惑いを覚える程、今、自分が牧師をしていることが当たり前に思え、それ以外の仕事に就いている自分の姿を想像し難いぐらいです。しかし、20数年前に時計の針を戻してみると、牧師を志したことは全くの予想外というか、予定外というか、彼が驚くのも無理はありません。会社を辞め、牧師への道を歩みたいとの願いを母に話したとき、子供の将来は子供の好きなように生きることを徹底して認めていてくれていたのに、牧師になることだけは少し反対されました。私には到底務まらないと心配してくれたのでしょう。母の心配は今も続いているように感じます。65歳ぐらいになったら、やっと一人前と認めてもらえるのでしょう。牧師とはそういう仕事だと思います。少しだけ初心に戻れた気がしました。

       20数年前の時間が止まった時から今日までの歩みを互いに分かち合いながら、20年の歳月の重みを感じました。W君と呼んでいた彼(今回の再会でもW君と呼びましたが)は、今、東京の伝統のある教会の主任牧師を務めています。礼拝には150名程の方々が集われているそうです。彼の人生が祝福されていることを本当に嬉しく思いました。そして、今回の再会で最も心に残ったのは、二人の教会に対するビジョンに驚くほどの共通点があったことです。サーバントリーダーとなること、チームで牧会すること、ひとりひとりの賜物を集約して用いること、熱心さを求めながら穏健であることなどです。お互いの間にこれらの共通点があるのは、S教会での体験が深く関係していると思います。過去の共通の経験が傷としてではなく、反面教師として健全な影響を互いに与えてくれていたことがとても嬉しかったです。

      ローマ 8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
      | newlifeblog | Fellowship | 11:18 | - | - | - | - |
      牧師会 2
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        牧師会2日目、午前11時からの婦人会に参加。私たち牧師は婦人会で各教会の近況報告と、御言葉からの短い勧めをさせていただきました。持ち寄りの料理をご馳走になり、楽しい歓談の一時を過ごしました。午後3時30分、教会を出発し、リハビリ病院に入院されているNさんを見舞いました。数年前、仕事の過労とストレスでクモ膜下出血で倒れられ、一年間植物状態であったそうですが、今、車椅子で自由に移動され、聞き取れる言葉で話しが出来るまで回復されています。別れ際、涙を目にいっぱい溜めながら「神様の祝福がありますように」と励ましの言葉を下さいました。聖書の言葉、「 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」(ローマ5:4)が心に迫ってきました。働き盛りであった時、病に倒れて身体の自由を失い、床に伏しながら何年も過ごされている日々の中で、苦々しさではなく、信仰による忍耐はキリストの品性、柔和さを生み出していることに御言葉の真実さとNさんの信仰に感銘を受けました。

         病院を出発し、阿蘇の麓にあるホテルにチェックインしました。夕食後、一つの部屋に集合して交わり会を再開。牧会上のひとつの議題を取り上げ、全員で意見交換、笑いあり、厳しい指摘あり、午後11時30分に打ち切り。

         次の日、ホテルをチャックアウトして、阿蘇外輪山の最高度地点になる外観峰に立ち寄りました。身を切るような凍てついた風が吹き荒れる中、展望台に向かいました。展望台からの眺めはガスが発生していて視界が悪く、360度のパノラマの絶景を見ることは出来ませんでした。




         帰り道、北熊ラーメンで昼食を取りました。美味しかったです。
        | newlifeblog | Fellowship | 07:57 | - | - | - | - |
        牧師会
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           今日、家を8時過ぎに出て、伊丹空港9時55分の飛行機で熊本に向かいました。去年の夏に訪問したばかりでしたので、旅の高揚感は無く、何か親しみを覚えました。到着後、米村さんが私たち(ポールさん、久志目さん、私)を昼食に連れて行って下さり、しばしの間、互いの近況を報告し合いました。車の運転を代わり、阿蘇の麓にある火の山温泉どんどこの湯へ。去年、青年の修養会に講師に招いてくださった時にも連れて行っていただいた大型の温泉施設です。自宅から車で20分圏内に温泉が点在する生活環境は羨ましい限りですね。夕食は米村さんの自宅でご馳走になりました。日本中に「牧師会」と称する牧師の交わり会が多数存在すると思いますが、グレースフェローシップの牧師会は、交わり中心、上下関係無し、本音トークと、私にとって本当に貴重な交わりの場となっています。自分の弱さを正直に話せる場所、友を持つことは神様からの賜物だと思っています。そして、私にはもう一つの大切な牧師会<TakeOff>があります。大阪、京都で牧会している同年代の牧師達の交わり会です。数ヶ月に一度の頻度で、スーパー温泉に行き、昼食を食べながら時の経つのを忘れるぐらい話し込んでしまいます。牧師に就任した1997年からの交わり会なので、今年で12年目を迎えます。

           牧師は孤独だと言われますが、とても孤独に思える時もある事は事実ですが、二つの牧師会が与えられていることで、いつも励ましと慰めをいただいています。
          | newlifeblog | Fellowship | 22:15 | - | - | - | - |
          横井マイク先生のお見送り
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            今日、関空にて横井マイク先生をお見送りしました。今回の訪問で、ニューライフとニューホープの夏期聖会の講師として、計8回のメッセージを熱く語った下さいました。毎年と言っていいほど日本を訪問されているのですが、実に日本の夏は二十数年ぶりだったそうです。お盆の期間中、猛暑と言うよりは激暑続きだったので、コンデイィションを整えるのは、さぞ大変であったとお察ししました。先生はアメリカでの生活が二十数年にも及び、日本の現状を私達よりも客観的にご覧になっておられることを言葉の節々に感じました。今回のテーマのひとつが「霊的な戦い」でした。多くのクリスチャンは「霊的な戦い」を非聖書的な教えとの先入観を抱いていると思います。20歳まで、ある福音派の教会で過ごしたのですが、「霊的な戦い」を「自分の罪との戦い」としか教えられた記憶しかありません。その後、カリスマ、ペンテコステ派の流れに導かれたとき、「霊的な戦い」を悪霊との戦いと位置づけ、「悪霊の追い出し」を強調されていることに戸惑いを覚えました。ある時、風邪を患っているひとに向かって、「風邪の霊よ。出て行け」と祈っておられる方を見て、「うーん」と唸ってしまいました。霊的な戦いを無視するクリスチャンは、自分の罪との戦いに終始する傾向があるのではないでしょうか。反対に、霊的な戦いを強調するクリスチャンは外面的な要因に目を向けすぎて、自分の内面の問題に目が閉ざされてしまう傾向があるように思います。風邪を患っているひとは、集会を休み、ゆっくりと休息を取る必要があるかも知れません。今回、「霊的な戦い」のメッセージを聞きながら、日本人が戦うべき敵のひとつは「漠然とした不安感」であるとの思いが深められました。

             大前研一氏(経済コンサルタント)がある雑誌の中で各国の老後の資産運用についての考え方を比較分析しておられたのですが、日本人の老後の資産運用に対する考え方は、老後(未来)に対する「漠然とした不安感」が悲しいほどに反映されていました。

            「世界最強の貯蓄大国でありながら、多くの日本人がその使い道を考えていない。(中略) なぜ未定か。自分が老いぼれてきたときに一番身の回りの世話や面倒を見てくれた人間にくれてやろうと、最後まで残す相手を決めていないのだ。「生前贈与」という素晴らしい制度をつくっても誰も使わない。生前贈与などしてしまったら最後、誰も面倒を見てくれなくなる。つまり貯蓄は"介護保険代わり”で、ことほどさように日本の親子関係は崩壊しているのである。かといって、「自分のために使い切る」度量も器量もない。このセコさ。ジス・イズ・日本人である」

             とても辛辣な意見ですが、大袈裟な表現でもないことも事実ではないでしょうか。出発前、横井先生との会話の中で「私は子供たちに財産は残せないが、多くの楽しい思い出だけを残したい」と話して下さった言葉に、牧師として十分な老後への備えがないまま、漠然とした不安感に人生を明け渡さないで生きておられる逞しさを感じました。もし、私達が自分の人生を漠然とした不安感に明け渡すことを拒むなら、新しい人生の道が開かれるのではないでしょうか。「明日は明日が心配する」とのイエスの言葉を胸に抱きながら、脱不安な日本人を目指したいものです。





             
            | newlifeblog | Fellowship | 21:13 | - | - | - | - |
            大津キリスト教会修養会
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              先週の土曜日、台風4号が九州に上陸しました。今回は予定されていたキャンプ場での集会がキャンセルになり、大津キリスト教会に会場を移しました。そのため、教会の近くのホテルに2日間泊まることになりました。写真はホテルの窓からの風景です。集会は日曜日の礼拝、午後の集会と、月曜日の朝の集会と計3回となりました。個人的にはとても恵まれた時となったと思います。帰る日、米村さんに家庭集会に連れて行っていただき、4時出発の飛行機に乗る予定でしたが、集会後、皆さんと3時まで食事をご一緒させていただきました。出発の1時間前に食事をご馳走になっているなんて、ちょっと信じられない感じがしましたが、無事に予定の飛行機にも乗れ、自宅に戻ったのは6時を少し過ぎた頃でした。今回は、米村さんご夫妻に本当に良くしていただき、又、多くの励ましをいただき、心身共に充電の時となりました。
              | newlifeblog | Fellowship | 08:42 | - | - | - | - |
              Japan Mission 2007 part 2
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                今日、米国からのチームが帰国の途につきました。2週間の日本滞在で多くの生涯忘れられない経験を積まれたと思います。帰国の前日、全員をスーパー温泉に連れて行きました。帰り道、教会の近くにあるフレスコでの出来事。夜10時半を過ぎていたのですが、最後の買い物に全員が興奮気味でした。中高生は日本のお菓子にお小遣いを使い切り、大学生は気に入った日本食を買い込んでいました。買い物を終えた全員がレジに並んでいたときの事です。大学生の女の子の後ろに高校生の男の子が並んでいたのですが、男の子が買い忘れた物に気づいて列から離れました。すると、その場所に日本人の方が並ばれました。前にいた大学生の女の子が後ろを振り向いて、日本人の方の買い物かごの中身を見て、突然、韓国語である商品を指差しながら叫び始めたのです。日本人の方は何が起こったのか分からず、凍りついていました。彼女は別人に話しかけていることに気づかず、一方的に叫び終えた後、顔を上げて、別人に話しかけていた事に気づいて、顔を真っ赤にして、「ごめんさない」と日本語で謝ったのです。一瞬の出来事でしたが、その光景を見ていたメンバーが笑いを堪えきれずに大声で笑い始めました。私も、被害者(?)となった日本人の方の後ろにいて、一部始終を見ていたので、失礼になることを承知で、どうしても笑いを堪えきれずに列から離れて笑い転げてしまいました。後で、彼女が韓国語で何を話したのかを聞いて、再び、笑ってしまいました。彼女は、買い物かごの中に生魚を見つけて、「明日、アメリカに帰るのに、どうして生魚なんか買うのよ」と怒鳴っていたそうです。私にとっても生涯忘れられない思い出になりました。
                | newlifeblog | Fellowship | 22:17 | - | - | - | - |
                Japan Mission 2007
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                  Japan Mission 07 米国のメリーランド州の教会から、韓国系アメリカ人の学生達10名とスタッフ4名の合計14名がニューライフを訪問して下さっています。今回のチームのリーダーは、ポールさんとロイスです。ロイス(ヘジョン)さんは十数年前、韓国から日本へ留学生として来られ、様々な辛い経験を通して日本で信仰を持たれました。私がロイスさんに初めてお会いした時は、成熟したクリスチャン女性としての印象しかなく、日本での様々な経験について何も知りませんでした。その後は、MC(ミニチャーチ)などで、何度かお会いしただけでしたが、ポールさんとの素晴らしい出会いがあり、結婚が決まったと知らされたときはとても嬉しく思ったのを覚えています。その後、米国での宣教に導かれていることを聞いたとき、お二人がニューライフから宣教師として遣わされることを願っておられることも知らされました。そして、米国へ向かう途中、ニューライフに寄って下さり、礼拝の中で派遣の祝福のお祈りをしました。なにか不思議な感じでした。しかし、今回、お二人がチームを連れてニューライフを訪ねて下さり、親交を温めている中で、ニューライフからの派遣宣教師として支援することの重荷が与えられたように感じています。
                  | newlifeblog | Fellowship | 09:09 | - | - | - | - |
                  New Generation Network
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                    2007年6月18-20日、エキシブ琵琶湖で超教派の牧師会に参加しました。Jesus Life HouseのRodさんとHope Churchのスティーブさんが進行役となり、数名の牧師が働きの報告をして下さった。参加者は40名程。北は宮城、南は福岡からの参加があり、懐かしい友人との再会もありました。今回の牧師会の目的は、交わりを通して互いに関係を築くことであって、特別な講義等は一切ありませんでした。7時30分から朝食、9時から13時まで交わり、13時から昼食、14時から16時まで交わり、2時間休憩、18時から夕食、19時から21時まで交わり、ディスカッション。全員、お風呂で23時までゆっくりと交わり、部屋で眠るまで交わり。参加されたある牧師の一言、「10年分の交わりをした感じです。」
                    | newlifeblog | Fellowship | 18:58 | - | - | - | - |
                    GFJ牧師会
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                      GFJ牧師会に出席しました。GFJは、Grace Fellowship Japanの略語です。GFJ牧師会は、1960年代、日本に遣わされた4名の宣教師の方々によって開拓、牧会された教会の交わりとして始まりました。私がGFJ牧師会に参加することになったのは、前任の牧師ケニーさんが4名の宣教師のひとりであったからです。宣教師から継承された福音理解は、神様の恵みの上に信仰生活を築くことでした。彼らが日本で過ごした日々は、日本経済が高度成長を遂げている時期と重なり、日本経済の繁栄が教会の運営にも多大な影響を及ぼしていたと思います。多くの牧師がビジネス書から教会運営の手法を学び、実際に取り入れたりしていたとき、彼らは愚直なまでに神様の恵みを説き続けました。今も、繁栄の神学の波が教会に押し寄せていますが、神様の恵みが満ち溢れる事との違いを区別することが出来るようにと願うばかりです。
                      | newlifeblog | Fellowship | 22:08 | - | - | - | - |
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