今週の木曜日、教会に昔の友人のW君が訪ねて来てくれました。約20数年ぶりの再会となりました。彼との交流は大阪のS教会に客員信徒として通うことになったことが始まりでした。S教会はわたしの育った母教会とは対照的な教会でした。母教会はイギリスの教会から派遣された女性の宣教師の方が伝道牧会されていた、20名程が集う小さな教会でした。礼拝は形式的で、式順に従って聖書朗読、オルガン演奏による賛美、説教、頌栄と進行しました。しかし、説教は関西聖書神学校の校長、副校長先生や、教授陣が毎週交代で取り次いで下さっていたので、今から思えば多くの牧師に薫陶を与えた方々の説教、スピリットに触れられたことは幸いなことでした。
S教会の礼拝に初めて出席したとき、ドラムやピアノ、ギターの演奏による賑やかな賛美に圧倒されました。今では、多くの教会がワーシップ賛美を導入するようになりましたが、20年以上も前から既にワーシップ賛美を導入していた点や、大人の礼拝出席が100名以上あったことからも、ある意味では先駆け的な存在であったと思います。毎週金曜日の夜には徹夜祈祷が持たれていて、いつも数名の方々が熱心な祈りを捧げられていたことも印象に残っています。当時、W君は20歳前半だったと思いますが、牧師になることを志願して、アルバイトをしながら教会の奉仕活動に従事しておられました。私と言えば、テキスタイルの会社に勤め、デザイナーの見習い中の身だったので、W君とは別世界にいるかのようでした。彼が東京の神学校に入学するために大阪の地を離れた後、私の心に牧師を志す願いが起こされ、米国のバイブル・カレッジへの留学に導かれました。お互いに「牧師への道」を東京とポートランドで歩み始めることになり、所属する団体に留まる彼との接点は無くなってしまいました。風の便りで神学校を卒業し、四国へ派遣されたとは聞いてはいましたが、その後の消息は途絶えてしまいました。先週、彼から突然のメールが届きました。大阪出張の際に、時間があれば会いたいとの内容でした。その後、電話で待ち合わせの日時を決めたとき、彼はわたしが牧師になったことが信じられない様子でした。彼の驚く言葉に戸惑いを覚える程、今、自分が牧師をしていることが当たり前に思え、それ以外の仕事に就いている自分の姿を想像し難いぐらいです。しかし、20数年前に時計の針を戻してみると、牧師を志したことは全くの予想外というか、予定外というか、彼が驚くのも無理はありません。会社を辞め、牧師への道を歩みたいとの願いを母に話したとき、子供の将来は子供の好きなように生きることを徹底して認めていてくれていたのに、牧師になることだけは少し反対されました。私には到底務まらないと心配してくれたのでしょう。母の心配は今も続いているように感じます。65歳ぐらいになったら、やっと一人前と認めてもらえるのでしょう。牧師とはそういう仕事だと思います。少しだけ初心に戻れた気がしました。
20数年前の時間が止まった時から今日までの歩みを互いに分かち合いながら、20年の歳月の重みを感じました。W君と呼んでいた彼(今回の再会でもW君と呼びましたが)は、今、東京の伝統のある教会の主任牧師を務めています。礼拝には150名程の方々が集われているそうです。彼の人生が祝福されていることを本当に嬉しく思いました。そして、今回の再会で最も心に残ったのは、二人の教会に対するビジョンに驚くほどの共通点があったことです。サーバントリーダーとなること、チームで牧会すること、ひとりひとりの賜物を集約して用いること、熱心さを求めながら穏健であることなどです。お互いの間にこれらの共通点があるのは、S教会での体験が深く関係していると思います。過去の共通の経験が傷としてではなく、反面教師として健全な影響を互いに与えてくれていたことがとても嬉しかったです。
ローマ 8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。