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What I have been learning.

最近、教えられていることを綴っています。
秋の夜長
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     秋の夜長の読書に選んだ3冊を読み始めています。



     <Whatever Happened to The Gospel of Grace?: Rediscovering the Doctrines that Shook the World> James Montgomery Boice

     「Gospel of Grace」は改革派の神学者james montgomery Boice(2000年召天)が恵みの神学の再発見をテーマに記した本です。彼は米国の福音派の教会が急速に世俗化の道を辿っていることに警笛を鳴らしたひとりでした。教会の世俗化は「天国に宝を積むこと」の価値よりも、この世でのリターン(報い)がほんの少しばかり強調されることよって静かに、深く進行していきます。ですから、教会が世俗化していることに気がつかないこと自体が深刻な問題です。世俗化と聞くと、霊的なことに反して、肉的なことに興味を持つことのように考えられていますが、世俗化とは人生の価値観が限られた地上での命の長さに基づいていて、「永遠の命」が死後に追いやられている状態です。

     Boiceは世俗化した教会には大勢の人々が押し寄せ、それらが聖書的な成功例として模範の対象となっている現実を憂いて、「恵みの福音に一体何が起こったのか」と問いかけています。



     <The Cross & the Prodigal: Luke 15 Through the Eyes of Middle Eastern Peasants > Kenneth E. Bailey

    「十字架と放蕩息子」は中東地域に暮らす人々の視線から放蕩息子の譬え話を解説したものです。個人的に放蕩息子の譬え話を生涯を通じて学び続けたいとの思いが強くあり、理解を深めてくれる一冊になりそうです。



     <僕たちのミシシッピ・リバー―季節風*夏> 重松 清

    「僕たちのミシシッピ・リバー」は好きな日本人作家のひとり、重松清さんの短編集です。彼の小説の登場人物の多くが年齢的に自分と重なっていることが多いので、同世代の人々が今何に対して共鳴を覚えるのか、彼らの心の動きを読み取るヒントをもらえているような気がします。

     
    | newlifeblog | Books | 09:47 | - | - | - | - |
    絶版本 「信仰の旅路」
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       再び、絶版本「信仰の旅路」を紹介したいと思います。この本もYahooのオークションで落札しました。数年前、出エジプト記を学んでいるときに参考にしたいと思ったのですが、絶版となっていたので手に入りませんでした。先日、Yahooのオークションで検索したところ、なんと見つかりました。キリスト教関係の書籍は出版部数が少ないので、絶版になるタイトルがとても多いのが残念です。今、日本中の教会、牧師の書棚に埃をかぶっている本が流通して、若い世代の牧師たちの目に留まることを切実に願っています。キリスト教関連の書籍を扱う古書店は希少価値を知っているので一般的にとても高額な値段がつけられます。しかし、一般の古書店では価値を知らないので、破格の値段がつくときがあります。最近、絶版となった本(キリスト教の価値に基づいた子育て論)を買い占めています。出版社に在庫、再販の予定を問い合わせたところ、在庫なし、再販の予定なしとの返事がありました。個人的に今まで読んだ子育ての本の中では一番分かりやすく、内容があったので、一人でも多くの方々に読んでほしいと思い、教会図書として購入することに決めました。一番安かった値段は159円でした。別の古書店では同じ本に2980円の値段がつけられていました。買い占めた絶版本は貸し出し用に準備中です。

       今、米国の出版元に版権について問い合わせ中です。
      | newlifeblog | Books | 08:18 | - | - | - | - |
      牧会者の神学
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         絶版本「牧会者の神学」をYahooのオークションで落札しました。原書は持っているのですが、日本語訳が欲しくていつも利用する古本検索サイト「日本の古本屋」で一年以上、定期的に在庫をチェックしてきました。一週間前、Yahooのオークションで見つけたときの喜びは放蕩息子が帰って来たときの喜びに近いような感じでしょうか。ちょっと大袈裟ですが、でも嬉しいです。

        「Turning Eyes into Ears」

        The Christian's interest in Scripture has always been in hearing God speak, not in analyzing moral memos. The common practice is to nurture a listening disposition - the involving ear rather than the distancing eye - hoping to become passionate heares of the word rather than cool readers of the page.

        ”いつの時代もクリスチャンの御言葉に対する関心は神様からの語りかけを聞くことです。道徳的な指針を確認するためではありません。大切な習慣は聞く姿勢を持つこと、目よりも耳に集中すること、冷静な読者となるのではなく情熱的な聞き手となること。”


         メッセージの準備をするとき、いつも心がけているのは御言葉に対して聞き手に徹することです。私が御言葉を料理するのではなく、御言葉によって自分が料理されること、自分の内面が取り扱われること、自分の魂に語られた御言葉を代弁することに努めたいと願わされています。その意味ではメッセージは預言的(未来を予見するとの意味ではなく、神様が語られた言葉を代弁するとの意味)であるべきですね。20代の前半、約1年半、某教会の客員会員になったことがありました。その教会の牧師(某教団の壮年部長を務められた重鎮的存在)のメッセージに衝撃を受けました。神様が私に語りかけて下さっているように感じることが何度もありました。それは、とても新鮮な御言葉との出会いでした。聖書、神学についての教えではなく、御言葉との新鮮な出会いを提供し続けたいです。

         
        | newlifeblog | Books | 07:31 | - | - | - | - |
        デットライン仕事術
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           前回のブログで4月からなかなか生活のリズムが築かれずにいることをを記しました。その後、いろいろと要因を考えた結果、PTA関連の会議が増えたこと、新しい役職で緊張していることがリズムを狂わしている要因だと気づきました。そこで、以前にも紹介したGTD手法を再導入することを決意しました。再導入を決心させたのは、「デットライン仕事術」(吉川浩一郎)の中でGTD手法と同じ時系列による仕事管理術、メリタ式が紹介されていたからです。普通、ファイル管理は要件ごとに整理、管理されるため、<今日中に終わらせなければならない仕事>は見えにくいという難点があり、いつも漠然とした不安が残ります。しかし、時系列による仕事管理は、全ての仕事や用事に締切日を設定し、締切日ごとに整理、管理されます。12日の場合、12と記されたファイルを取りだし、中に入っている<今日中にしなければならない仕事や用事>をひとつひとつ終わらせていきます。全部が終わると、今日の仕事は終わり、漠然とした不安も残らず、「明日のことは明日が心配します」とのイエスの言葉を実感する助けとなります。

           「デットライン仕事術」の著者吉川氏は残業廃止を唱えた第一人者です。一日の仕事に時間制限を設けることで、集中力が増し、仕事のスピードが上がることを説いておられます。社長時代、残業した社員を会議の席で厳しく叱りつけたそうです。残業すればいいとの考えは本来、他の目的のために費やすべき大切な時間を犠牲にしているとの認識の妨げとなります。仕事に締切を設定するように、人生を限られた時間と見なすことも大きな益をもたらすのではないでしょうか。

          「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(詩90:12)」

            人生を限られた時間と見なすことの益は、「私たちに知恵の心を得させてください」との言葉からも分るように、人生における大切なものを見極める、判断する知恵が与えられることではないでしょうか。私が会社を辞め、牧師になる決意を固めたのは交通事故に遭ったことが大きかったと思います。牧師になる決意がなかなか固まらなかったのは将来に対する漠然とした不安感があったからです。バイクで帰宅途中、一旦停止を無視した飲酒運転の車に追突されて頭を地面で強打し、意識を失い、救急車で近くの病院に搬送されました。幸い、大事に至らずに頭の傷を縫合し、打撲だけで済んだのですが、交通ルールを無視したドライバーの過失によって命が奪われたかもしれない、「命のはかなさ」に気づかされました。現実に、多くの大切な命が他者の過失によって奪われていることを考えたとき、自分の限りある人生を不安感に明け渡すことが愚かに思え、人生の使命と思えること(私にとっては牧師になること)に明け渡す決心がやっとついたのです。あの事故から20年以上が経ちました。あの日のことを忘れないために、事故当日に着用していた革のジャンパーを捨てずに持っています。(引っ越しの時に捨てるように言われたのですが、、、)

          | newlifeblog | Books | 08:39 | - | - | - | - |
          テレビ霊能者を斬る 小池靖
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             図書館の新書の棚で「テレビ霊能者を斬る」というタイトルに目が留まり、借りて帰って一読しました。著者が宗教社会学の専門であることから、新書の割りには内容がありました。副題は「メディアとスピリチュアルの蜜月」。著者は今日のスピリチャアルブームとテレビメディアとのいびつな関係を宗教社会学的視点から論じています。個人的にはテレビにはあまり関心が無い(格闘技系は別)ので、「オーラの泉」やテレビ霊能者が出演する番組の存在もあまり知りませんでした。でも、書店でスピリチャルカウンセラーを称する江原氏の書物が山積みされているのが少し気にはなっていました。スピリチュアル・カウンセリングがこれほどのブームとなっている背景には、伝統的な宗教の衰退、新興宗教に対する警戒感、そして将来に対する漠然とした不安感が広がっていることと、「弱くて癒されたい自分」というアイデンティティの台頭にあると小池氏は論じています。江原氏のメッセージは肯定的であり、幸せを保証する励ましと慰めに満ちています。ただ、根拠が曖昧ですが。江原氏への霊視能力に対しての批判に対して、「真偽性については(霊が視えているのかいないのかなどについては)信じたくなければ信じなくても結構。それは本質ではない。私の活動が役に立っているのならそれで良いのではないか」と反論しているそうです。「役に立つならそれで良いのではないか」との持論は、「他者に迷惑かけなければ何をしても良いのではないか」に通ずる自己義認的な生き方ではないでしょうか。

             江原氏のアプローチは予想を越える反響があったことを考えると、少なくても数十万人(あるいは、数百万人)の日本人の共感を得たことは間違いないと思います。

             キリスト教が日本人に受け入れられるためには、「共感」は不可欠な要素ですが、気をつけなければならない事は非聖書的なアプローチによって「共感」を得る誘惑に陥らないことではないでしょうか。「弱くて癒されたい自分」は肯定的なメッセージに共感し、幸せを保証してくれるものは本質を吟味しないで受け入れる傾向があります。ですから、毎週の礼拝で御言葉が語られてはいても、福音が語られていないかも知れません。福音が語られるところには、「共感」と共に「反感」、「反発」も共存することになるのではないでしょうか。それは、福音、イエスキリストの十字架は罪の自覚を求め、「弱くて癒されたい自分」と対決するからです。

            「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが」(1コリント 1:23)


            | newlifeblog | Books | 21:28 | - | - | - | - |
            Leadership and self-deception リーダーシップと自己欺瞞
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              「Leadership and Self-deception」を読み終えました。本書は偏見という箱から抜け出す大切さについて記されています。多くのひとが入っている「箱」は「自分は正しい」という偏見です。「自分は間違っていない」という箱に入ったままなら、必然的に「相手が悪い」「相手が間違っている」となります。その結果、相手を変えることに努力を傾けるようになり、出口の無い「もがき」の中に埋没するようになっていきます。私たちは他者を見るとき、本当に様々な偏見に捉われていることに気づいてもいないのではないでしょうか。箱から出る方法は、相手に見られる自分との違いを肯定することです。賛同しなくても、肯定すること、尊敬することによって、「自分は正しい」という偏見の箱から出ることが出来るのです。

               「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、」(1ペテロ2:1)

               「悪口を捨てる」 私たちの生活の中で最も実践したい霊的修練の一つだと思います。悪口を口にするとき、私たちは「自分は正しい」という偏見の箱に身を置くことになるからです。本書の中でも、登場人物のひとりが昔の上司を批難し、悪口を言うことが当然だと主張したとき、ガイド役となる人物がこう言いました。「あなたが昔の上司を批判し、悪口を言うことで彼が少しでも変わるなら意味のある行為かも知れない」しかし、実際は批判し、悪口を言う本人が自分の言葉によって怒りを増幅させ、自分で自分の傷を深くしているに過ぎないのではないでしょうか。

               「柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。」(箴言 15:1 )

               私たちは自分の口から出る言葉によって怒りを引き起こし、傷を深めるように、「柔らかな言葉」をもって怒りを鎮め、傷を癒すことも出来るのではないでしょうか。怒りを抱いている他者に対して、悪口ではなく、少しずつ肯定的な言葉を語るなら、自分の語った言葉にどれだけ怒りが鎮められ、傷が癒されるのかを少しずつでも悟っていきたいですね。

               

              | newlifeblog | Books | 09:46 | - | - | - | - |
              Integrity 現実の要求に応える勇気 3
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                 本書のタイトル「Integrity」を日本語に訳すと、どうしても「清廉潔白」という意味になってしまいます。個人的には本書のサブタイトルにもなっている「現実の要求に応える勇気」がとても気に入っています。「Integrity」が現実を直視する勇気によって培われるとするなら、「偽善」の温床は現実から目を背ける「恐れ」にあるのではないでしょうか。

                 リーダーシップの大切な役割のひとつが、「現実を定義すること」「現実のありのままを受け入れること」ですが、現実のありのままを受け入れることには勇気が必要ですね。本書の中で、サドルバック・コミュニティ教会(米国の最大規模の教会)のリック・ウォーレン牧師が紹介されていました。ウォーレン牧師が教会を始められたとき、最初に取り組んだことは「現実を定義すること」でした。地域の人々を訪問し、「教会に行かない理由を教えてください」と尋ね回ったそうです。10年以上前、サドルバック教会のセミナーに出席したとき、「評価すること」の大切さを力説しておられたことを思い出しました。日本では、教会の活動を評価するなんてことはタブーかも知れません。それは、学校の現場でも同じことが言えると思います。教師を評価することに対する抵抗が根強く存在しています。しかし、教師の不祥事や不適格な人格が問題となり、「教職員評価制度」が導入されることになりました。しかし、他者の働きを裁かず、客観的に評価するには相当な成熟した人格が求められます。その意味では、自己評価することを意識し、習慣化しなければならないのですが、それも現実的には難しい。ですから、メンター(自分よりも成熟した人物)による「客観的な評価」というものが重要になるのではないでしょうか。

                 私にとって、Jerry牧師からの評価は現実を定義することの大きな助けとなっています。最近のメールでの近況報告の中で「今、少しプレシャーを感じています」と短く記したところ、早速、メールが届きました。「具体的に何に対してプレシャーを感じていますか?自分に何が欠けていると感じていますか?自分の心の動きをジャーナルに記していますか?」との質問が記されていました。最近、親しいひとが危篤状態になることが続いていて、携帯が鳴る度に落ち着きを失い、心騒がしている自分に気づかされました。牧師としてひとの命の終わりに関わることを厳粛に受けとめつつ、全ての命は神様の御手の中にあることを静まりの中で確認し、心の平安を取り戻しつつあります。
                | newlifeblog | Books | 21:48 | - | - | - | - |
                Integrity 現実の要求に応える勇気 2
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                   本書の中で著者が子育てのセミナーにおいて「子供が人生で成功する秘訣を教えてほしい」との質問に対して「上手に失敗すること」と回答したことに感銘しました。人生の成功は、いかに上手に失敗するかによるとの説明には納得します。「上手に失敗する」ことの第一は、「素直に失敗を認めること」。これが、なかなか難しいですね。新東京銀行が不良債権問題で経営悪化した問題で、石原都知事が400億円の増資を計画していることが連日ニュースで報道されています。しかし、石原都知事は「再建する責任がある」とのコメントの繰り返しで、「失敗を認めない」姿勢に世論の反発が強まっています。「失敗を認めること」を難しくさせているのが「自己保身」です。失敗を認めることで失うものへの恐れが、失敗を認めないことの大きな要因だと思います。しかし、失敗を認めないことで最終的に失うものの大きさは、素直に失敗を認めることで失うものの比ではないと思います。

                   先週のメッセージのテーマが「赦されて生きる」でした。使徒パウロはイエスキリストと出会い、救いを経験するのですが、最初の一歩が出せなかったのではないでしょうか。それは、彼には教会を迫害した過去があったからです。イエスの弟子たちはパウロの改心を喜びませんでした。迫害されたキリスト者にとって、パウロの改心は余りにも身勝手に映ったのではないでしょうか。ですから、パウロはイエスの十字架によって赦されて生きることしか、もはや一歩も前に進めなかったのです。しかし、ここに恵みに生かされる小道があるのではないでしょうか。私たちが赦される必要が無い、いや、赦されることに抵抗を覚えるなら、神様の恵みから離れてしまっているのではないでしょうか。

                   今日も、「赦されるべき者」として歩んでいるか、自分の歩みを振り返っています。


                   
                   
                  | newlifeblog | Books | 15:51 | - | - | - | - |
                  Integrity 現実の要求に応える勇気 1
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                     今、インターンのミーティングで取り上げているテーマが「Integrity」です。「Integrity」の意味は概ね次のようになると思います。「高潔,誠実,清廉」2007年度の世相漢字が「偽」であったことは記憶に新しいです。専門職と呼ばれる職種の大半は、職人の本質的なものは作品に顕著に現れます。レストランで出された食事を一口食べるだけで、素人でもある程度なら料理人の腕を見抜くことができます。しかし、宗教家の本質を見抜くのはとても難しいことだと思います。イエスが対峙されたのは宗教家達の「偽善」であったことを思うとき、信仰者にとって「偽善」という誘惑との戦いに勝利することが非常に大切なテーマになるのではないでしょうか。「偽善」という誘惑に打ち勝つためにも、Integrityを身につけることが不可欠だと思います。「境界線」の著者Henry Cloud氏の最近の著作「Integrity」には、辞書とは少し異なる定義が用いられています。「Integrity」とは、The Courage to Meet the Demands of Reality(現実の要求に応じる勇気)と定義されています。本書の中で、Integrityの役割を飛行機の機体の耐圧、耐熱能力に例えられて説明されています。機体が高度を上げれば上げるほど、機体の耐圧、耐熱能力の真意が試されます。もし、機体の制作工程において偽装があれば、機体が重圧や過熱に耐え切れなくなり、押しつぶされたり、燃え尽きたりします。ひとが偽善に走るのは偽善の心だけに問題があるのではなくて、現実の要求に対して勇気を失い、恐れに支配されることに原因があるからです。自分の過ちや失敗を認めることにも勇気が必要になります。自分の非を認めることで失うもの、現実が要求する代価、代償を真正面から受け止めることができるなら、偽善に陥る誘惑から守られるのではないでしょうか。
                    | newlifeblog | Books | 23:42 | - | - | - | - |
                    自伝的説教論
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                       加藤常昭師の自伝的説教論を読んでいます。加藤常昭師は日本が誇る説教家の一人として大変有名な方ですが、神様が長い時間をかけて説教家自身をつくられるのかを再認識させられながら読んでいます。「神様は説教をつくることに関心がなく、説教家をつくることに働いておられる」。尊敬する米村さんの言葉ですが、「自伝的説教論」を読みながら、改めてそう思いました。人生の中で出会う師と仰ぐことができる人々から受ける薫陶が説教家をつくっいく過程に感銘を受けながら読んでいます。ワインが熟成していく過程と同じようですね。手を抜いて生きていたら熟成された説教は生まれてこない、時間をかけただけ、魂を注いだだけ、聴く人々の心に届く説教が神様との共同作業を通して生み出されることを心に留めつつ、今週の説教準備に向かっています。

                      「渡辺先生の説教を聴いていると、聖書の言葉が起ち上がってくる。立体化してくる。聴き手に向かって迫ってくる。」(P43)

                       
                      | newlifeblog | Books | 07:45 | - | - | - | - |
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