先週の土曜日、恒例になりつつあるLive Music Night第三弾がもたれた。15組の夫婦限定のディナー。今回は申し込み受付開始4分で予約の定員に達したそうだ。キャンセル待ち、予約できなかった方々には本当に申し訳ない限りです。今回の結婚トークはLove&Respect。原稿をアップします。
結婚の原則 「LOVE&RESPECT」
日本語の「愛」という言葉は昔からあった言葉ではありません。キリスト教が伝播したとき、聖書の愛という言葉を日本語に訳そうとしたのですが、適切な日本語が見つかりませんでした。当時、日本語にあった愛という概念は、「愛でる」、美しいものを見て、一時他の事を忘れて楽しむ」といった意味しかありませんでした。しかし、聖書の愛は自分を相手に与えるという「自己犠牲」を意味していました。ですから、宣教師たちは聖書の愛を、「この人のためになら死んでもいい」と説明したそうです。そのような愛を獲得することはできません。聖書が教えるところの愛とは「無償の贈り物」なのです。
男女の愛は、「愛でる」、心惹かれるところから始まります。「愛でる」から始まった愛を「この人のためになら死んでもいい」という自己犠牲的な愛へと育むことが結婚の営みと言えると思います。
「愛でる」、互いに惹かれ合って結婚した夫婦が愛を深めることに困難を覚えるようになるのは、愛の概念が男と女では異なるからです。「愛でる」までなら特に問題は無かったのですが、愛を深めようとすれば、愛の概念の違いが様々な誤解や問題を生じさせることになるのです。
男女の愛の概念の違いは心の必要によって異なっているのです。
女性にとって愛とは「安心感」を与えてくれるものです。この安心感は「無条件で受け入れられている」との実感によって生じます。女性は「自分自身が受け入れられているか」によって愛を確かめ、実感するからです。プレゼントを貰って愛を感じるのは、そのプレゼントが「自分を受け入れていること」を示しているときです。反対に、プレゼントを貰っても愛を感じないのは、そのプレゼントが全くと言っていいほど、「自分を受け入れている」とは思えないときではないでしょうか。
金属アレルギーのある妻にコバルトのネックレスとニッケルのピアス、アルミニウムの指輪、クロムのブレスレットをプレゼントするみたいなものです。彼女の存在のすべてが、プレゼントに拒絶反応を起こすでしょう。少し大袈裟な例ですが、男性が善意、愛から贈ったものが女性にとっては「拒絶」としか受け取られないこともあるのです。女性にとっての愛とは受容、ありのままの自分が受け入れられることだからです。
男性は女性が「ありのままの自分が受け入れられること」を愛されていると感じることを理解するのに苦しむのは、男性にとって「ありのままの自分が受け入れられること」をそもそも望んでいないからです。男性が安心感を抱くのは、社会的に受け入れられること、能力があると評価されること、すなわち、「尊敬されること」によってであって、「ありのままの自分が受け入れられること」によってではないからです。この男女の違いを著名なアメリカの精神科医は、「大切にされたい女性、「いいヤツだと思われたい男性」と表現しました。
男性は駄目な自分をありのままで受け入れてもらっても、愛は感じないのです。男性にとって愛とは「尊敬」の二文字です。「尊敬されているか」よって愛を確かめ、実感するのです。
愛を深めることの難しさは互いに相手が求める愛をなかなか理解することが難しいことにあります。
男性にとっての愛とは尊敬の二文字ですが、女性がこのことを理解するには多少の譲歩と努力が必要になると思います。女性の場合、女性であることのゆえに「軽く見なされる」という屈辱を男性よりもはるかに多く経験しています。小さな男の子から大人の男まで、喧嘩の原因の最たる理由は、「馬鹿にされた」ことです。夫婦の間でも男性の怒りを引き起こす最たる原因は妻の皮肉や小馬鹿にしたような言葉、軽蔑されたと感じることではないでしょうか。
子どもが学校で問題を起こしたとき、だいたい、頭を下げて謝りに行くのは母親が圧倒的に多いのです。他のことなら引き受けても、頭を下げるのは勘弁して欲しいのです。半沢直樹のドラマでも物議を醸しましたが、主人公の半沢直樹が上司に土下座を強要したのは、男性にとって土下座をさせることが最も屈辱を与えるからです。
ですから、夫が妻から「無償の尊敬」を受け取ると、愛を深く感じるのです。無償の尊敬という贈り物ほど愛の贈り物はないのです。そして、男性は自分を尊敬してくれるひとに自分を惜しみたく与えるようになるのです。プロ野球の契約更新のたびに、男にとって尊敬が愛であることを改めて思わされます。年間を通じて、そこそこ活躍した選手が予想以上の大幅な年棒ダウンを提示されて、怒りと失意から男泣きする光景をご覧になったことがあるのではないでしょうか。最終的には、意地の張り合いになって、引退を決意する選手もいれば、他球団に移り、お世話になった元の球団に敵対心を燃やすようなこともあります。反対に、同じぐらいの活躍しかしなかった選手が予想に反して、大幅な年棒アップを提示されて、高く評価してくれた球団のフロントに感謝し、献身的な貢献を誓う光景もたびたび目にします。男性が受けた尊敬に対して、自分自身を惜しみなく与えることの典型例です。単純と言えば単純です。
愛を深めるためには、互いにとっての愛とは何かを理解した上で、愛を無償で与えることによるのです。夫にとって妻の愛は尊敬ですが、なかなか尊敬は無償では手に入らないものです。妻の尊敬は、有償の場合が多く、それも、あまりにも高額過ぎて手に入れることができないときがあります。
結婚カウンセリングで、女性の方に尊敬を無償の贈り物として与えてくださいとお願いすると、大体の場合、尊敬とは尊敬に値することに与えるものではないでしょうかと反論されてしまいます。もっともな意見です。基本的には、尊敬は有償です。尊敬を受けるためには代償を払わなければならないのです。しかし、夫婦の関係に限っては、尊敬は無償であるべきなのです。尊敬という無償の贈り物を贈り続けることで、夫は妻を大切にするようになるのです。
夫が妻を愛するとは、「無条件で受け入れること」です。別の言い方をすれば、アドバイスではなく、「共感」を贈り物として与えることです。男性にとって愛とは尊敬ですから、妻から尊敬を受けるために、アドバイスやまっとうな意見を与える傾向が強くなります。妻が疲れたと言うと、洗浄機を買ったらとか、手伝ったりします。友人関係で苦しんでいたら、そんな人とは距離を置いたほうが言いとアドバイスもしたりします。「共感」ではなく、「アドバイス」や「解決策」を与えてくれることに有難くは思っても、ありのままで受け入れられているとは感じないのです。愛を実感できないのです。男性が女性に贈るべき愛の贈り物は「共感」です。十分に共感する時間を取った後で、アドバイスが生かされるのです。