「Fathered by God」(John Eldredge)を読んでいる。この本を購入したのは本のタイトルに惹かれたからだ。9歳のときに父を亡くして以来、天の父なる神様を慕い求めるようになった。少年の頃、父なる神様に何を求めていたのか、「肯定されること」であったと思う。祖母や母から十分に愛され、受容されて育てられたが、「肯定される」という経験が欠如していた。
"Boyhood is the time of Affirmation, the time when a boy comes to learn and learn deeply that he is the beloved son."
(少年期は肯定されるときである。少年は自分が愛されている息子であることを深く学ぶときなのだ)
父の役割は子どもに「肯定感」を与えることだろう。「肯定すること」と「受容すること」の違いは何だろうか。ひとが内面における成熟を経験するためには「肯定感」と「受容感」が欠かせない。「受容感」とはありのままの自分が愛されていることの実感に対して、「肯定感」とは自分の秘めた可能性を信じてもらえているとの実感ではないだろうか。特に、男の子には肯定感が大切になる。
”I explained in Wild at Heart that every man and every boy is asking one core question:"Do I have what it takes?""
(Wild at Heartでも説明しましたが、全ての男性、少年は一つのことを自問し続けている。自分にはできるだろうか?)
会社に入社したとき、同僚達と比べて自分に何かが欠けているとの思いを漠然と抱いた。それが、「自信」であることが次第に分かってきた。彼らが自信に満ち溢れていたわけではないが、ただ自分に自信が無かった。仕事で評価されても自信の無さが心から消えることはなかった。
前任牧師のケニーさんとの出会いは「父の息子」に戻れる経験を与えてくれた。最初の出会いから10年が過ぎた頃、ケニーさんが前立癌に侵され、余命一年と宣告された。ある日、ケニーさんを見舞ったとき、「のぶ。わたしはあなたが牧師の働き以上の働きをすると信じている」と言ってくださった。この時、心で感じたこと、愛されてる息子とされていることの実感を今も忘れられない。ケニーさんが入院する前、「あなたを長年の友人に紹介したい。」と言ってくださり、米国のノースカラライナ州在住のジェリー牧師を一緒に訪ねた。ジェリーさんとの交流は愛されてる息子としての実感を更に深めている。彼は私を実の息子のように受け入れ、可能性を信じてくれた。何度、彼の口から「Nobu, You can do it」(あなたならできる。)との励ましの言葉を聞いたことか。一緒にジムに行ったり、食事をしたりする時間が自分の心に欠如していたものを満たしていった。今、自分の心には愛されている息子であるとの喜びがある。この喜びを三人の息子たちにも与えたい。