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What I have been learning.

最近、教えられていることを綴っています。
「父となる旅路」
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     ようやく出版されることになりました。いのちのことば社さんから執筆のご依頼を受けてから5年の歳月が過ぎました。途中、何度も筆が止まりました。毎週の説教準備に追われ、まとまった時間の確保に苦労しました。メッセージの準備には思索が大変重要となり、一週間の間、一つのテーマについて思い巡らします。同時に二つのテーマを思索することが苦手なので、外部講師の方が説教してくださる前の一週間や、年末年始、夏の休暇中に集中的に書き上げました。物書きを生業としている作家の方には心から敬服します。

     タイトルは「父となる旅路」とありますが、老若男女問わずに読んでいただきたいと願っています。9歳のときに父を亡くし、神へのつまづきからの信仰の回復、喪失体験からの回復、父親像を持たない私自身が父となることでの様々な葛藤などを、聖書の登場人物の苦悩と重ねながら綴っています。「父性の役割」についても様々な視点から書いてみました。

     副題、「聖書の失敗例に学ぶ子育て」は出版社の方がつけてくださいました。副題を見て気づいたのですが、聖書に記されている失敗ばかりを取り上げています。そういえば、あまり成功例は出てきません。しかし、失敗の向こう側に神の恵みを読み取っていただければ幸いです。

     いのちのことば社のインターネットSHOP (クリックしてくだされば購入画面に移動します)

    | newlifeblog | - | 21:58 | - | - | - | - |
    修士課程で学ぶことになりました。
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       数年前から兼牧が一段落したとき、修士課程の学びを検討していました。日本の大学院で学ぶのか、米国の大学院のオンラインプログラムで学ぶのか、なかなか決めかねていました。最初は、日本の大学院を受験する準備をコツコツと進めていました。アプリの単語帳を利用し、膨大な情報を詰め込むことに腐心してきました。暗記力の低下に驚きましたが、結果的には良い勉強になったと思います。

       最後の最後に、米国の大学のマスタープログラム(2年間)を受講することに決断しました。卒業した米国の大学から成績表を送付してもらったり、複数の推薦状や自薦の書類などの手続きを済ませた後、数週間後に合格通知書が届きました。ミシガン州にあるSpring Arbor Universityというキリスト教系の大学です。日本ではほとんど知られていない大学だと思います。大学院のプログラムをリサーチをするまでは、私も聞いたことがありませんでした。敬愛する霊的形成の第一人者、故ダラスウィラードとリチャードフォスターが深く関わっていることが決め手となりました。霊的形成と一言でいっても、
      「聖化」の見解と同様、必ずしも共通見解があるわけではありません。教授の著書や課題図書から判断しなければなりませんでした。課題図書に、ヘンリナウエン、ダラスウィラード、リチャードフォスターなどの著書があったこと、数年前までリチャードフォスター自身が集中講義を担当していたことなどから、最終的に決断しました。

       8月末から授業が始まりました。一科目は8週間単位となり、毎週、課題を提出します。課題図書を読み、質問事項に自分の意見を書いて提出します。提出した文章は掲示板に掲載され、全員が読み、コメントを書き込みます。この点が、通常のオンライン学習とは異なる点だと思います。2年間、同じメンバーで授業を受け、集中講義で顔を合わせ、グアテマラでの研修などで交流を深めることも、霊的形成の学びの一環として重要視されています。

       課題の期日が決まっているので、気持ち的に追い込まれている感じがありますが、少しずつ慣れてくるだろうと楽観しています。一年に一度、大学のキャンパスか、リトリートセンター等で集中講義を受けます。来年の1月にはアリゾナ州のリトリート施設で集中講義を受ける予定です。二年目は、グアテマラでの研修もあります。

       51歳になって、もう一度学生に戻り、しっかりと勉強したいと願っています。

      (キャンパスの写真)

      | newlifeblog | - | 20:19 | - | - | - | - |
      ビジョン主導的生き方 or ミッション主導的生き方
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         先週の土曜日から北海道入りし、グレースでの日曜礼拝、CFNJの入学式、4日間の集中講義を終えて、金曜日の夜に大阪に戻りました。集中講義では、「ビジョンとミッション」の違いについて分かち合った。最近というか、数十年前から、「ビジョンの重要性」が強調されるようになった。「先生のビジョンは何ですか?」とは聞かれても、「先生の召されているミッションは何ですか?」とは聞かれない。ビジョンとミッションの違いを明確にするため、ビジョンを人の心に描かれた夢、幻とし、ミッションを神の心に描かれた夢、幻と定義した。異論はあるかも知れないが、この定義を前提に授業をした。ビジョンの必要性が語られるとき、決まって引用されるのが、箴言29:18「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである」この御言葉だけで、ビジョン主導の生き方を肯定するのは無理がある。聖書の人生観はミッション主導である。

         ビジョン  人に主体性があるため、人が働きを始めなければならない。
         ミッション 神に主体性があるため、神の働きに招かれなければならない。

         ビジョン  個人の夢が重なるので、どうしても、一世代で終わってしまう
               傾向がある。
         ミッション 神の夢なので、時代を超えて受け継がれる。

         ビジョン  完成図を心に描くため、結果重視の傾向が生じる。
         ミッション 完成図が心に描けないため、プロセス重視の傾向が生じる。

         ビジョン  戦略的な生き方になるため、ビジョンとは無関係に思える働きは
               スルーする傾向がある。
         ミッション 天職(Calling)の意識が芽生えるため、「声をかけられること」が
               大切になる。

         ビジョン  実を結べる良い場所をいつも探している
         ミッション 置かれた場所で実を結ぶ 「置かれた場所で咲きなさい」

         ビジョン  自分の人格とは無関係に大きなビジョンを描く傾向がある。
         ミッション 人格と働きを切り離すことが困難なため、どうしても、人格の取り
               扱いを受けなければならない。 

         ビジョン  人々の関心の集まるところに注意が向いてしまう。
         ミッション 人々が関心を払わないところに注意を向ける。

         ビジョン  自己実現的な生きた方  「自己プロデュース」「○○代までに
               しておくべきこと」
         ミッション 神の作品としての生き方 

         ビジョン  クロノス的な時間概念 アブラハム 75歳から99歳まで 
               「取り残され感」
         ミッション カイロス的な時間概念 アブラハム 99歳から100歳  
               「時が来ると実がなる期待感」

         ビジョン  挫折で人生が終わってしまうように感じる。
         ミッション 挫折を経験しても、神の壮大なストーリーの一部として人生が
               続いていく実感が伴う。

         講義では「霊的導き」(Spiritual Direction)の大切さを何度も強調した。心理学的アプローチは、関わる人をカテゴリー化する。意図しなくても、「あの人はああいう人だから」とカテゴライズ(分類)している。しかし、大切なことは、その人の中で精力的に働いておられる神の働きに目を留めること。心理学的アプローチは、その人の歴史に注目するが、「霊的導き」では、その人の中で働いてこられた神の働きの歴史に目を留める。生まれつき目が見えなかった人に対する、弟子たちとイエスの視点の相違、「この人が罪を犯したのか、両親の罪なのか」と弟子たちは彼をカテゴライズした。イエスは、「神のわざがこの人に現れる」と神の働きについて言及された。この視点の相違は、ミニストリーの本質を決定する。

         
        | newlifeblog | - | 09:08 | - | - | - | - |
        New Hope 担当牧師就任式
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           昨日、NewHopeの担当牧師就任式が祝福のうちに執り行われた。Jerryさんが「神様がリーダーに望まれること」と題してメッセージしてくださった。要約を記しておこう。

          1 God expects you to love the people.
            神様はあなたに人々を愛することを望まれます。

          2 God expects you to not need to always be right.
              神様はいつもあなたが正しいことを望まれません。(失敗を素直に認めること)

          3 God expects you to work to bring the best out in others.
              神様はあなたが他者から最高のものを引き出すことを望まれます。

          4 God expects you to so highly regard others that they feel they are needed 
             and  wanted.
             神様はあなたが他者の存在を高く評価することで、彼らが必要とされていると感じることを
           望まれます。

          5 God expects you to speak the truth in love but to have the courage to speak
              the truth clearly.
              神様は愛をもっ真実を語ることを望まれていますが、明確に真実を語る勇気も必要です。

          6 God expects you to model His vision of constantly learning from Him and
              teaching others what He is teaching you.
            神様はあなたにイエスのビジョンから常に学ぶ者としての模範となり、あなたに教えたことを他者に
            教えることを望まれます。

           兼牧も10年目を迎え、S副牧師が担当牧師に就任されたことに感慨もひとしおだ。銀行マンだった彼が仕事を辞め、牧師の道を志すことを決意されたとき、周りの方々の理解を得るのには苦労されたと思う。しかし、これからの歩みが祝されることを信じている。彼の決断が決して浅はかなものではなかったことが明らかにされることを確信している。就任式では、NewLifeもNewHopeも、そして個人的にも新しい季節を迎えたことを強く印象づけられた。

           メンターのJerryさんとTさんとの質疑応答の通訳をするため、日曜日の夜から彦根のキャッスル・ホテルに滞在している。十数年前から、Jerryさんが私のメンターになってくださった。50歳になっても、メンターを持つことの大切さを数年ぶりに一緒に過ごしながら改めて思わされた。Jerryさんの口癖は、「誰もあなたにしない質問をするのがメンターの仕事なのです」。74歳のJerryさんから学ぶことは多くありすぎて、消化するのに数年はかかりそうだ。今回も、多くの宿題を提出されたように思う。
          | newlifeblog | - | 19:55 | - | - | - | - |
          父親再生
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             人気カウンセラーが書き下ろした父親論。臨床の現場で出会った父親たちの苦悩、そして、そんな父親たちから苦しめられる家族の苦悩が綴られている。「父親再生」という言葉に関心を持ち、熟練した女性のカウンセラーの視点から父親の再生について何が語られているのか興味をもって読み始めた。父親の再生については最後に少しだけしか記されていない。著者の結論は、「妻や子供から慕われ好かれる父であること。父親だからといったあるべき姿にとらわれることなく、妻や息子から愛される父親になろうと努力するだけで十分である。」(P 201)臨床の現場で苦悩する家族の生の姿を見てきた著書からの世の父親たちへの励ましのメッセージだ。妻や子どもを苦しめる父より、愛される父親になろうと努力する父のほうが歓迎されるべきであることは言うまでもない。しかし、父性の役割が全く語られていないことが残念でならない。本書でも、臨床の現場で出会う父たちが、健全な父親像を持っていないことが指摘されている。アルコールやギャンブル依存症の父、暴力を振るう父、沈黙する父、そのような父親たちも自分の父と戦っている、復讐を試みている、負の連鎖の中でもがいている。父親再生とは、負の連鎖から、いかに一歩を踏み出せるかに懸かっているのではないだろうか。赦しが果たす役割はあまりにも大きい。「反応する人生」から「選択する人生」への転換こそが、再生には不可欠だと思う。「なぜ、わたしは、このことをするのだろう」と内省する時間が再生には欠かせない。「自分の父のようにはなりたくない」との隠れている思いから、ただ反応しているだけかも知れない。
             
             原稿は編集者の方の手に委ねたけれど、もう少しだけ書き足したいと思った。 
            | newlifeblog | - | 18:25 | - | - | - | - |
            本のタイトル
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               出版社の編集者の方と打ち合わせをした。来春の出版に決まった。「書けるだけ書いてください」と編集者の方に言われるがままに、書き続け、気がついたら約20数万字の原稿となった。もう、書き足すことはない。あとは、編集者にすべておまかせした。本のタイトルについても意見交換したが、なかなか難しい。個人的には、「かっこ悪い父。それでも、父親」がしっくりくるが、どうなることやら。聖書に登場する父親は、総じて、かっこ悪い。社会的には尊敬されているが、家庭内では疎外感を感じて生きている存在のようだ。日本は母性社会と言われているが、父性が隠れている。本では、父性の役割を「承認」という視点から、個人の体験談を交えながら、聖書に登場する幾人かの人物の生涯を通して考察している。子どもが生きていく上で母性は強く要請されるが、父性はそうではない。しかし、特に息子が大人の男になるために父性は欠かせないと思う。父性は実の父だけに限定されるわけではないが、父親を含め、おじさんや上司、メンターなど、そういう父性との関係の希薄さが、様々な社会問題として顕在化しているのではないだろうか。「万能感」も顕在化した問題の一つだろう。

               母性社会の日本で父性的宗教であるキリスト教がどのように根ざしていくのか、いつも考えている。「君は愛されるために生まれた」、素晴らしいメッセージではあるが、父性はそういう言葉をあまり口にしない。(実際は口にはするが、、、そういうことを本では論じたつもり。)

               出版までの経過をブログで報告しようと思う。二冊目の本の原稿に取り組んでいることもあり、ブログを書く時間を削っているが、アクセス記録を見て驚いている。一日、二百以上のアクセスがある。本当だろうか?本当だったら、もう少し記事をアップしなければ申し訳ない。
              | newlifeblog | - | 18:26 | - | - | - | - |
              関西牧会塾が始まります。
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                先週、牧会塾の招待リトリートに妻と出かけた。場所は、聖心女子大学の付属中学、高校がある広大な敷地内にある黙想の家。(静岡県裾野市)三日間、天候は悪く、霧が発生して富士山を見ることができなかった。しかし、幻想的な雰囲気の中、ゆっくりと静まる時を持つことができた。講師は、浦和福音自由教会の坂野先生ご夫妻。牧会40年の経験、「牧会学」の視点から、牧会の本質的な働きについて教えていただいた。妻と修養会のような学びに出かけるのは何年ぶりだろう。最後に出かけたのが10年以上前だったように思う。

                 来年の4月から開講を予定している関西牧会塾についての打ち合わせも少しだけできた。関西牧会塾は、牧会塾の精神を継承しつつ、関西の地で牧会されている牧師や信徒の方々の生涯教育の一旦を担わせていただくことを願っている。一年目は、ナウエンの思想に学ぶクラスと牧師対象のクラスになる予定。協力してくださる先生方と一緒に共に学び、成長するフラット&パーソナルなプラットフォームを作っていきたい。

                 

                 先月の8月、50歳を迎えた。40代、兼牧の働きに専念してきた。50代、次世代の牧師のために少しでもお手伝いがしたいと願っている。

                 
                 

                | newlifeblog | - | 22:29 | - | - | - | - |
                書き終わりました
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                    四年前から執筆を依頼されていた本がようやく書き終わった。執筆を依頼された一年後、連載記事の依頼があり、とりあえず一年の約束で書き始めたが二年半近く連載が続いた。そのため、本の執筆が保留となり、時間だけが過ぎていった。しかし、担当者のYさんが訪ねて来てくださり、書き続けるように励ましてくださった。去年、ようやく原稿をお渡しした。去年12月、担当者と記者の方が訪ねてくださり、原稿について感想を聞かせてくださった。予想に反して、出版の方向で検討することが決まった。内心、自主出版を勧められるかと心配していたので正直嬉しかった。12月から今日までの約三ヶ月半、朝から晩まで原稿と向き合い、書き直しと数万文字を書き足した。今日、担当者の方に原稿を送付した。やっと、終わった。(多少の書き直し、原稿チェックは続きますが)

                   本の内容は、父の生涯と死に言及しつつ、福音理解における「子とされていること」の大切さと神の摂理について、ヤコブ、ヨセフ、ヨブの生涯を通して記した。最後に神の作品としてのキリスト者の人生の祝福について記した。出版がいつになるか分からない。編集者にお任せしたい。応援してくださった皆さん、本当にありがとうございます。
                   
                   写真の古いノートパソコンはメッセージ原稿、連載記事、本の執筆と大活躍でしたが、キーボードを叩き過ぎたので二箇所破損している。そろそろ於役目御免となる予定。液晶は全く問題ないのでもったいない気がするが、、、。次は、ULTRABOOKを買おうかな。

                   連載と本の執筆でブログを書く時間が取れなかったが、ブログは自分史という側面もあるので書き続けたい。将来、子どもたちがブログの存在を知り、直接伝えられなかったこともブログを通して伝われば嬉しい。
                  | newlifeblog | - | 23:01 | - | - | - | - |
                  Love&Respect
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                     先週の土曜日、恒例になりつつあるLive Music Night第三弾がもたれた。15組の夫婦限定のディナー。今回は申し込み受付開始4分で予約の定員に達したそうだ。キャンセル待ち、予約できなかった方々には本当に申し訳ない限りです。今回の結婚トークはLove&Respect。原稿をアップします。

                    結婚の原則  「LOVE&RESPECT」


                     日本語の「愛」という言葉は昔からあった言葉ではありません。キリスト教が伝播したとき、聖書の愛という言葉を日本語に訳そうとしたのですが、適切な日本語が見つかりませんでした。当時、日本語にあった愛という概念は、「愛でる」、美しいものを見て、一時他の事を忘れて楽しむ」といった意味しかありませんでした。しかし、聖書の愛は自分を相手に与えるという「自己犠牲」を意味していました。ですから、宣教師たちは聖書の愛を、「この人のためになら死んでもいい」と説明したそうです。そのような愛を獲得することはできません。聖書が教えるところの愛とは「無償の贈り物」なのです。


                     男女の愛は、「愛でる」、心惹かれるところから始まります。「愛でる」から始まった愛を「この人のためになら死んでもいい」という自己犠牲的な愛へと育むことが結婚の営みと言えると思います。


                    「愛でる」、互いに惹かれ合って結婚した夫婦が愛を深めることに困難を覚えるようになるのは、愛の概念が男と女では異なるからです。「愛でる」までなら特に問題は無かったのですが、愛を深めようとすれば、愛の概念の違いが様々な誤解や問題を生じさせることになるのです。


                     男女の愛の概念の違いは心の必要によって異なっているのです。


                     女性にとって愛とは「安心感」を与えてくれるものです。この安心感は「無条件で受け入れられている」との実感によって生じます。女性は「自分自身が受け入れられているか」によって愛を確かめ、実感するからです。プレゼントを貰って愛を感じるのは、そのプレゼントが「自分を受け入れていること」を示しているときです。反対に、プレゼントを貰っても愛を感じないのは、そのプレゼントが全くと言っていいほど、「自分を受け入れている」とは思えないときではないでしょうか。


                     金属アレルギーのある妻にコバルトのネックレスとニッケルのピアス、アルミニウムの指輪、クロムのブレスレットをプレゼントするみたいなものです。彼女の存在のすべてが、プレゼントに拒絶反応を起こすでしょう。少し大袈裟な例ですが、男性が善意、愛から贈ったものが女性にとっては「拒絶」としか受け取られないこともあるのです。女性にとっての愛とは受容、ありのままの自分が受け入れられることだからです。

                     

                     男性は女性が「ありのままの自分が受け入れられること」を愛されていると感じることを理解するのに苦しむのは、男性にとって「ありのままの自分が受け入れられること」をそもそも望んでいないからです。男性が安心感を抱くのは、社会的に受け入れられること、能力があると評価されること、すなわち、「尊敬されること」によってであって、「ありのままの自分が受け入れられること」によってではないからです。この男女の違いを著名なアメリカの精神科医は、「大切にされたい女性、「いいヤツだと思われたい男性」と表現しました。


                     男性は駄目な自分をありのままで受け入れてもらっても、愛は感じないのです。男性にとって愛とは「尊敬」の二文字です。「尊敬されているか」よって愛を確かめ、実感するのです。


                     愛を深めることの難しさは互いに相手が求める愛をなかなか理解することが難しいことにあります。


                     男性にとっての愛とは尊敬の二文字ですが、女性がこのことを理解するには多少の譲歩と努力が必要になると思います。女性の場合、女性であることのゆえに「軽く見なされる」という屈辱を男性よりもはるかに多く経験しています。小さな男の子から大人の男まで、喧嘩の原因の最たる理由は、「馬鹿にされた」ことです。夫婦の間でも男性の怒りを引き起こす最たる原因は妻の皮肉や小馬鹿にしたような言葉、軽蔑されたと感じることではないでしょうか。


                     子どもが学校で問題を起こしたとき、だいたい、頭を下げて謝りに行くのは母親が圧倒的に多いのです。他のことなら引き受けても、頭を下げるのは勘弁して欲しいのです。半沢直樹のドラマでも物議を醸しましたが、主人公の半沢直樹が上司に土下座を強要したのは、男性にとって土下座をさせることが最も屈辱を与えるからです。


                     ですから、夫が妻から「無償の尊敬」を受け取ると、愛を深く感じるのです。無償の尊敬という贈り物ほど愛の贈り物はないのです。そして、男性は自分を尊敬してくれるひとに自分を惜しみたく与えるようになるのです。プロ野球の契約更新のたびに、男にとって尊敬が愛であることを改めて思わされます。年間を通じて、そこそこ活躍した選手が予想以上の大幅な年棒ダウンを提示されて、怒りと失意から男泣きする光景をご覧になったことがあるのではないでしょうか。最終的には、意地の張り合いになって、引退を決意する選手もいれば、他球団に移り、お世話になった元の球団に敵対心を燃やすようなこともあります。反対に、同じぐらいの活躍しかしなかった選手が予想に反して、大幅な年棒アップを提示されて、高く評価してくれた球団のフロントに感謝し、献身的な貢献を誓う光景もたびたび目にします。男性が受けた尊敬に対して、自分自身を惜しみなく与えることの典型例です。単純と言えば単純です。


                     愛を深めるためには、互いにとっての愛とは何かを理解した上で、愛を無償で与えることによるのです。夫にとって妻の愛は尊敬ですが、なかなか尊敬は無償では手に入らないものです。妻の尊敬は、有償の場合が多く、それも、あまりにも高額過ぎて手に入れることができないときがあります。


                     結婚カウンセリングで、女性の方に尊敬を無償の贈り物として与えてくださいとお願いすると、大体の場合、尊敬とは尊敬に値することに与えるものではないでしょうかと反論されてしまいます。もっともな意見です。基本的には、尊敬は有償です。尊敬を受けるためには代償を払わなければならないのです。しかし、夫婦の関係に限っては、尊敬は無償であるべきなのです。尊敬という無償の贈り物を贈り続けることで、夫は妻を大切にするようになるのです。


                     夫が妻を愛するとは、「無条件で受け入れること」です。別の言い方をすれば、アドバイスではなく、「共感」を贈り物として与えることです。男性にとって愛とは尊敬ですから、妻から尊敬を受けるために、アドバイスやまっとうな意見を与える傾向が強くなります。妻が疲れたと言うと、洗浄機を買ったらとか、手伝ったりします。友人関係で苦しんでいたら、そんな人とは距離を置いたほうが言いとアドバイスもしたりします。「共感」ではなく、「アドバイス」や「解決策」を与えてくれることに有難くは思っても、ありのままで受け入れられているとは感じないのです。愛を実感できないのです。男性が女性に贈るべき愛の贈り物は「共感」です。十分に共感する時間を取った後で、アドバイスが生かされるのです。 

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                    熊本
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                       礼拝奉仕と修養会での奉仕のために熊本に出かけた。今回、新幹線で博多まで行き、長崎で一泊した。ガイドブックで紹介されていた長崎ちゃんぽんのお店に行ったものの、閉まっていた。仕方なく、隣の中華料理屋でちゃんぽんを注文した。味は微妙。

                       次の日、平和記念公園を見学した後、熊本へ向かう。肥後大津駅でY牧師さんが迎えてくださり、早速、温泉へと連れて下さる。車で五分のところにある、元企業の施設だった所だそうだ。自宅から五分で温泉に行けるなんて羨ましい限りだ。

                       日曜日、教会には大勢の方々がお越しになられていた。地方都市の教会の著しい衰退は、日本のキリスト教会が抱える問題であるが、大都市の真ん中にある教会のように活気で満ちていた。180名ぐらいの方々が定期的ではないにしろ、礼拝に集われているそうだ。人口3万人の小さな町の教会とは思えない。礼拝では、「古い人を脱ぎ、新しい人を着ること」についてお話させていただいた。昼食のカレーをご馳走になった後、YMCAの阿蘇キャンプ場へと向かう。夕食は雨が激しく降るなかでのBBQ。地元の野菜がおいしい。夜の集会では、「優先順位。第一のことを第一とすることの大切さ」についてネヘミヤの生涯を通して学んだ。

                       月曜日の祝日、「ぶどう園の喩え」から、朝早くから働くことの祝福について話した。夕方一時間しか働かなかった者たちが一日の賃金一デナリを受け取ったのを見た、早朝から働いた労務者たちが主人に文句を言った。ぶどう園で働いたことが苦痛であったと訴えた。若い時から神様のために働けること、仕えることは特権である。早朝に声をかけていただいたことを感謝したい。そんなことをお話した。修養会は午前中で終わり。夕方の飛行機の時間まで、地獄温泉に連れて下さった。湯治客が多く来られる有名な温泉だそうだ。少し寂れた雰囲気が、気持ちを高揚させる。奉仕者として出かけているのに、心身ともリフレッシュされた旅となった。Y牧師夫妻、教会の皆さんには心から感謝しております。

                       追伸 ブログを読んでいてくださる方がおられたことも嬉しかった。2年10ヶ月続いた連載が終わったので、発信の場をブログへと移したいと思っている。
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